就職活動がうまくいかない大学生が精神的に追い詰められて死を選ぶ「就活自殺」が、平成25年までの7年間で218人に上ることが、警察庁のまとめで分かった。各大学は最悪の事態を防ごうと対策に乗り出しているが、自殺者数は、雇用環境と密接に関係するともいわれており、専門家は「解決には、雇用環境を改善することが先決だ」と指摘している。 警察庁によると、自殺原因の詳細な分析を始めた19年以降、自殺した大学生は3516人。そのうち遺書などの記述から「就活の失敗」が原因とみられるのは218人だった。雇用環境との関連を証明するように、景気が回復したとされる25年は、前年より17人減少した。 各地の大学も、学生の支援に力を入れる。学生の自殺が続いた富山大は21年、「自殺防止対策室」を設置し、昨年度から学生支援センターが業務を引き継いだ。教職員に対して自殺防止の基礎知識をレクチャーするほか、学生が入居するアパート
中国でテレビドラマといえば抗日戦争ものが定番だが、その中でも初めて「人間味ある日本人」を描いたという異色の番組が12月末、上海で始まった。 主役に抜擢(ばってき)されたのは、中国で10年以上も憎まれ役の日本兵を演じてきた大阪出身のイケメン男優、矢野浩二さん。「これまで描かれてきた凶悪な日本兵とは正反対の複雑な内面をみせる日本人の役柄で、挑戦しがいがある」と目を輝かせた。 日中戦争が舞台でありながら、戦争を憎む一方で中国共産党の「八路軍」を助ける役回りだ。残忍なシーンの連続で日本人への憎悪をかきたてる従来のドラマとは印象がかなり違う。 「この役柄を通じて平和を愛する日本人像を中国の視聴者に伝えることができれば」と矢野さんは話す。 日中の民族感情の溝を埋める日本人像を描くという今後の展開に期待したいが、その一方で、残念ながら政治の現実世界では対立が深まっている。
新聞各紙が自らの掲げる主義・主張に沿って互いに批判し、激論を繰り広げる。平成27年は新たな言論戦が本格化する年になるだろう。 幕はすでに昨年8月に上がっている。慰安婦報道と東京電力福島第1原発事故にかかわる「吉田調書」報道という朝日新聞の2つの記事取り消しをめぐる各社の報道ぶりがそうだ。産経新聞が口火を切ったこの2つの問題を、全新聞が大きく紙面を割き、それぞれの立場から、長期にわたって報道し、論評した。 これまで新聞同士の論戦の多くは散発的、短期間で終わっていた。新聞を批判する雑誌ジャーナリズムは「新聞は他紙批判を避ける」と冷ややかだった。産経は積極的に他紙を批判し、論戦を挑んできたとの自負があるが、新聞全体を見渡せば、こうした側面がなかったとはいえない。 潮目の変化を感じたのは昨年6月21日、朝日の同日付朝刊(東京本社14版)で政府有識者チームによる河野談話検証結果の記事を目にしたときだ
「日本の反発は気にしない」。 ハリウッド女優アンジェリーナ・ジョリーの発言が新たに注目されている。映画『アンブロークン』の韓国内での封切り(1月7日)を控えてだ。今回ジョリーがメガホンをとった『アンブロークン』は、米国のオリンピックの英雄であり日本軍の戦争捕虜として数奇な運命を体験したルイス・ザンペリーニの人生を題材にしている。 この映画には、第2次世界大戦中にザンペリーニが850日間日本軍の捕虜収容所で拷問・虐待を受けるシーンが描かれている。この事実が知られる中で日本の極右団体が激しく反発した。日本の極右団体はこの映画で描写された日本の捕虜収容所シーンについて「ねつ造」と主張して映画の上映禁止とジョリーの入国禁止を要求した。日本のあるサイトでは『アンブロークン』の上映ボイコットを要求する嘆願書に1万人以上が署名した。 日本の極右団体の反応についてジョリーは先月23日、米国日刊紙USAトゥ
【ブラジリア=菅原啓】ブラジルのジルマ・ルセフ大統領の2期目の就任式が1日、首都ブラジリアで行われ、中南米6カ国の大統領をはじめ約70カ国の政府代表が参加しました。日本の政党としては日本共産党が唯一招待を受け、緒方靖夫副委員長と菅原啓国際委員会委員が出席。先の総選挙後初めての対外活動の中で、交流した諸党から躍進への祝意が表明されました。 真夏の炎天下、大統領府前には約3万人の支持者らが集結。ルセフ大統領は就任宣誓後の演説で、貧困層対策や最低賃金引き上げなどの努力の結果、極貧層を3600万人減らすことができたことを紹介。インフレ対策や財政規律など経済の安定化を図りつつ、こうした社会開発プログラムをより深化させる考えを示しました。 外交政策では、中南米との関係を引き続き優先し、中南米カリブ海諸国共同体(CELAC)の発展を進める方針を強調しました。 緒方氏は就任式の前に開かれた昼食会で、志位和
平成27年、日本は戦後70年という節目の年を迎える。先の大戦を直接知る人たちの高齢化は進み、「70年」が証言を残せる最後の節目とも言われる。靖国神社遊就館(東京都千代田区)は70年を前に、26年2月から8月末まで遺族を対象に「英霊に贈る手紙」を募り、計584通が寄せられた。その一部は遺品とともに1月1日から同館で展示される。手紙には戦死した父や夫ら肉親への感謝の念があふれ、残された遺族たちが懸命に生き抜いた戦後史も刻まれている。 《昭和20年1月、佐世保から、沖縄方面海軍根拠地隊司令として赴任の朝、お迎えの車の前に、家族一同が並んでお見送りしたお父様の白手袋の挙手の礼、無言で一人一人に万感の思いのこもったまなざし、あの姿がお父様との一生の別れとなりました》 当時17歳だった板垣愛子さん(86)=大阪府富田林市=は、激戦地に向かう父親、大田實・海軍中将のりりしい姿がまぶたに焼き付いている。
関西の経済界関係者らが毎年2月、一堂に会してタイムリーな課題について議論し、解決策を探る「関西財界セミナー」(財セミ)。第18回(昭和55年)は1980年代の幕開けということもあり、「80年代の日本-勇気ある選択と創造」をテーマに約250人が参加。経済・経営に限らず財政再建、資源・エネルギーなど多彩な課題が取り上げられたが、中でも日本の防衛問題については激論が交わされた。(栗川喜典) 関経連会長に「異議」 昭和55年2月7日、京都市の国立京都国際会館。第18回財セミの初日、基調討議が行われた会議場は例年にない緊迫感に包まれていた。 「80年代の日本と防衛問題」と題して意見発表に立ったのは、関西経済連合会の会長を務める住友金属工業(現・新日鉄住金)会長の日向(ひゅうが)方斉(ほうさい)。日向は当時、旧ソ連によるアフガニスタン侵攻や北方領土での軍事基地建設などの脅威があるにもかかわらず、「日本
「日韓併合」やその時代をいかに評価するかの問題は日韓の最大の政治的争点である。この点で韓国の公定史観がこれを違法であり無効であるとしているのは周知の通りである。 と同時に、かつて「日政時代」と呼ばれていたこの時代が「日帝時代」を経て、近年では「日帝強占期」と呼ばれていることからもわかるように、日本の「悪意」や「悪政」を語る物語は、時間の経過とともに強度を高めつつ国民に共有されているのである。 旅行者でも気がつくことだが、今日の韓国には「日帝」の「蛮行」を語る物語があふれている。学校教科書で学んだ「日帝強占期」の日本像は歴史ドラマや日常のニュースで反芻(はんすう)されるとともに、国中の博物館や記念館を訪問すると、その「実物」に向き合えるという仕組みである。 一方の日本はというと、「日韓併合」などといっても、そもそもピンとくる人が少ない。これは戦後日本の学校教育やメディアが、日本国の地図にかつ
1914年、第1次世界大戦でコロール島を占領した日本は、ベルサイユ平和条約でパラオ共和国を20年に委任統治下に置き、2年後、南洋庁を設置した。小学校や実業学校、病院、郵便局などを設置したほか、インフラ整備も進め道路や港湾、飛行場などを建設した。法律は原則、日本の法律が適用された。 日本政府による統治は45(昭和20)年までの31年間続いた。パラオは日本の小都市のような発展を遂げ、日本人も23年に657人だったのが38年には1万5669人を数え、パラオの総人口の7割を占めた。44年時点では、パラオ人約6500人に対して約2万5千人の日本人(軍人をのぞく)が住んでいた。 元駐日パラオ大使だったミノル・ウエキさん(83)は「どんどん日本人が移住してきて、コロールの中心街は日本政府の出先機関やショッピングセンター、飲食業、娯楽施設が軒を連ね、『第2の東京』とさえ呼ばれた。農業や漁業などの産業も発展
〈君が代は 千代に八千代に さざれ石の~…〉 明快な日本語で「君が代」を歌い上げた94歳になる老女は、続けて「海行かば」を口ずさみ始めた。 〈海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草生(くさむ)す屍~〉 歌詞の意味は理解しているという。ロース・テロイさん。「テルコ」という日本人名も持ち、「日本人になれるものならなりたかった」と言った。 「緑の島のお墓」を作詞したアントニア・ウエンティさん(85)は「蛍の光」と「仰げば尊し」を歌って涙を浮かべ、童謡の「浦島太郎」を歌って、「この歌は、『両親がしてはいけないということはやってはいけない。罰が当たるよ』という意味を含んでいる」と言った。 テロイさんのいとこにイナボ・イナボさん(故人)という男性がいた。元パラオ共和国政府顧問で、生前は、「日本軍と一緒に戦いたかった」と何度も口にしていたという。
八木教授は今回の追悼碑問題と本質は同じとし、「守る会の集会をきちんと見ていなかった県の姿勢にも問題があるとはいえるが、過去を調べてみたら繰り返しそういう行為(約束違反)をしているということであれば、悪質とみなして『碑を撤去』という決定を下すのは理屈が通っている」と強調する。 守る会側はこれまで、集会で政治的発言があった可能性を認めつつ、「行政指導にとどめるべきだ。いきなり死刑判決(撤去要請)はない」などと主張している。これに対し八木教授は「『政治的、宗教的な行事および管理を行わない』という設置許可条件がありながら、繰り返し守っていないわけだから、確信犯だ」などと述べ、悪質性の高さから県の判断は適当との考えを示した。 10年前の設置許可は正しかったのか問題となっている追悼碑には「かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返
このままでは、100万人の大台割れも近い。年頭にあたり発表された厚生労働省の推計では、昨年の出生数は約100万1千人で戦後最少を更新する見込みだ。 団塊ジュニア世代に、第3次ベビーブームは到来しなかった。出産可能な年齢の女性が減れば、出生数の大幅増は望みにくい。 次世代が生まれてこなければ、日本の存亡に関わり国家は成り立たない。「国難」であるとの認識を共有する必要がある。 安倍晋三政権は「2060(平成72)年に1億人程度維持」との政府目標を掲げ、本格的な対策に乗り出した。今年を、「攻勢」に転じる年としたい。 ≪国民の出産希望は強い≫ 年間出生数は、昭和24年生まれの約270万人をピークに、低落が続いてきた。このままでは年間50万人を下回ることになり、100年後には、25万人にも達しないとの予想もある。このようなペースで出生数が減り続ければ、社会の混乱は避けられない。 地方の消滅や経済の縮
群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」の朝鮮人追悼碑をめぐり、県が下した設置更新不許可決定の取り消しなどを求め、碑の設置者「追悼碑を守る会」が前橋地裁に起こした裁判は、第1回口頭弁論が来年2月4日に行われることが決まった。県は碑の前で行われてきた守る会の集会で、政治的発言が繰り返されたことから不許可としたが、守る会は「表現の自由がある」などとして反論している。守る会の主張は果たして受け入れられるのか。口頭弁論を前に、麗澤大学の八木秀次教授(憲法学)の見解を交えながら検証した。 裁判の争点は…この問題を検証する上で重要になってくるのが、平成16年に碑が設置された際に、県と守る会が交わした一つの約束(設置条件)だ。それは、「政治的、宗教的行事および管理を行わない」。設置する碑に政治色、宗教色が出てしまうと、県立公園という中立的な場にはふさわしくないという考えからだ。 守る会は碑を設置した16年から
小学校に入る前から、相撲の雑誌を読んでいました。まだ字を知らないから、お手伝いさんに教えてもらってね。幕下までは全部覚えちゃって。例えば「双葉山、本名龝吉定次(あきよし・さだじ)、大分県宇佐市出身、5尺8寸、34貫」と。 初めて大相撲を見に行ったのが昭和14年1月15日。いまでもきちんと覚えています。当時の名優だった6代目尾上菊五郎さんに連れられて。 双葉山が安藝ノ海に外掛けで敗れて70連勝ならず、という日だったんです。波乱に、客席から湯飲みやたばこ盆が飛んできました。「坊や、危ない危ない」って、おじさんが座布団をかぶせてくれましたよ。実況していたNHKアナウンサーの和田信賢さんも座布団をかぶってアナウンスしていたそうですから。 戦争でうちが焼けちゃって、あとから相撲の雑誌を神田の古書店で買い集めました。演劇の雑誌よりよほど高い。1冊7、8000円するものもありましたね。ちょこちょこ買い足
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