石原慎太郎が死んだ。 2月1日に亡くなったという。 もうあの男の口から差別発言を聞かされることはない。 喜ばしい? 祝杯の一つでもあげたい? いや、筆者の胸の内はそんなに単純ではない。石原(あえて敬称はつけない)は自らの悪行の報いを受けることなく、それに対する反省を口にすることもなく89年の生涯を閉じた。「逃げ切られた」という悔しさの方が強い。 2000年、陸上自衛隊の行事に参加した際の、「不法入国した三国人が凶悪な犯罪を繰り返しており、大きな災害では騒擾事件すら想定される」という「三国人発言」、重度心身障害者に対する「ああいう人ってのは人格あるのかね?」などの発言を挙げるまでもなく、彼の外国人に対する偏見や差別をあおるヘイトスピーチ、女性蔑視、障害者蔑視、他民族蔑視の暴言は枚挙に暇がない。 1983年の衆院議員選挙活動期間中に、石原慎太郎の公設第一秘書が関与し、新井将敬候補のポスターに「