まったく競馬に関係ない話でもしましょうか。 >「G1と名のつくレースを7勝もしたのに種牡馬になれないダート路線って何なの?」 と、「ファンが」感じたのではないかと考えたのです。そして、内容の妥当性、論理性を抜きにして、そう感じさせた背景を探ろうとしました。 >こうして並べてみると、全然違いますよね。混同する方が不思議です。 Southendさんは”疑念”が疑問の根拠になり得ないことを指摘しておられます。 しかし、これは内容の妥当性、論理性を問うことに他ならないのではないでしょうか? 分かりやすいよう、話を置き換えてみます。ある学者が未開民族を調査しています。その民族は「我々の祖先はオオカミだ」と考えています。学者は、なぜ彼らがそう思うのか、文化的、環境的、系譜的、色々あると思いますが、調査して背景を探るのだと思います。決して、オオカミが人間の祖先になり得るのか、DNA検査をして事実の妥当性
●http://baji.cocolog-nifty.com/okera/2009/11/g1-8f70.html 私が関心があるのは「種牡馬になれない→残念だね」と多くのファンが思う背景は何かということです。 ▼これは、この記事のコメント欄で、筆者であるガトー@馬耳東風さん自身が書かれた一文です。これを読んで、なんというか不意を突かれた気分になりました。 もちろん僕も、「残念だね」という気持ちは強くあります*1。しかし自分としては、その感情の“背景”は自明なものだ、とばかり思い込んでいたからです。まぁ、考えてみれば単なる思い込みなんですが。 ▼とりあえず、自分なりの「背景」を考えてみます。 まず、感情面での答え。ヒトには、自らの遺伝子を残したいという本能と、見守る対象に感情移入する能力があります。となれば、前者と後者を掛け合わせれば、「功成り名を遂げた」名馬が自らの遺伝子を残せない、とい
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