本と民俗に関するbono_hakoのブックマーク (13)

  • 民俗学っぽいマンガとは何か ——民俗学者が出てくるマンガまとめ - 猫は太陽の夢を見るか:番外地

    しかし、世間では「妖怪は民俗学が扱うものだ」と考えるのがどうも一般的な捉え方のようです。翻って、「民俗学は妖怪を研究する学問だ」と考えている人までいるようです。 これは、明らかな誤解というよりありません。 (京極夏彦『文庫版 妖怪の理 妖怪の檻』角川文庫、角川書店、2011年、32頁) 「独断と偏見で選ぶ〝民俗学っぽいマンガ〟」を選ぶために このように思ったことはないだろうか。 「ホラーとかオカルト系のマンガって、たいてい民俗学者っぽいキャラが出てくるよね」 わかる。 でもじゃあ、実際、民俗学者が出てくるマンガってどんなものがあって、それってどれくらいあるのだろうか? そもそも、ホラーとかオカルトとか伝奇とか妖怪とかのマンガには、どうしてよく民俗学者が出てくるのだろうか? しかし、その問いに答えることは、実は容易ではない。 なぜか。 たとえば、考古学には、櫻井準也『考古学とポピュラー・カル

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  • 「残酷物語」の時代・ノート――「鼎談・残酷ということ」から - king-biscuit WORKS

    ● 今から59年前、1960年8月発行の雑誌『民話』第18号に、「残酷ということ」という「鼎談」が掲載されています。*1 出席者は岡太郎、深沢七郎、宮常一の3人。それぞれ芸術家、作家、そして民俗学者として、その頃それぞれ話題になっていた文化人たちです。*2 副題に「「日残酷物語」を中心に」とあるところから、当時、ベストセラーに近い売り上げを示して出版界からジャーナリズムまで広く話題を呼んでいた平凡社のシリーズ企画『日残酷物語』と、それが巻き起こした現象などについて語ってもらおうという目論みだったようで、実質、巻頭企画の位置に置かれているのを見ても、当時この「残酷」というもの言いをめぐる文化人の座談会に、それだけのニーズがあったことがうかがえます。 *3 実際、この「残酷」というもの言いは、「残酷物語」というコピーライティング的な成句を踏み台にしてその頃、流行ったようです。 元の書籍

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  • 『さいごの色街 飛田』 - HONZ

    HONZに参加して以来、自分がどのようなを取り上げてきたのか、棚卸しなんぞしてみた。最初のダムはともかく、銀座のインド料理屋、川崎を拠地としていたプロ野球球団、東京スカイツリーと東京タワー、自由が丘のスイーツ。いかん、いかん、エリアが東京近郊に寄り過ぎている。オレは東京ウォーカーか!HONZは全国区の媒体だぞ。 そんなわけで思い切って東京を離れ、遠征へと出かけることにした。遠征に出かけるとなると、ついつい羽目を外したくなるのが、男の性(さが)。そうこうしているうちに辿りついたのが、飛田新地である。と、誰に問い詰められたわけでもないのに弁解してみる。 飛田新地は、大阪市西成区に今なお存在する色街だ。面積は、概ね400メートル四方。北寄りが「青春通り」 「かわい子ちゃん通り」、南寄りが「年増通り」「妖怪通り」「年金通り」などと呼ばれている。碁盤の目の街路に沿って居並ぶ「料亭」の合計は、16

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  • honza.jp

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  • ぶく速 遠野物語より面白い民間伝承の本ってあるの?

    1 名前: よむよむくん(東京都)[sage] 投稿日:2011/01/22(土) 21:43:40.86 ID:xnhlffZW0 遠野市の附馬牛中(下川原宏明校長、生徒32人)の全校生徒は「附馬牛を世界に発信しよう!」をテーマに掲げた総合学習・常緑樹(ときわぎ) プロジェクトに取り組んでいる。柳田国男著「遠野物語」にも登場する早池峰山や郷土芸能などを紹介するガイドマップの作成や、 遠野の昔話を日語と英語で語る「生徒語り部」などの活動を通じ、生徒一人一人が地元の魅力を伝える「発信者」になろうと奮闘している。 常緑樹は同校校歌にある言葉で、「生徒がいつも生き生き、伸び伸びと過ごしてほしい」との願いが込められている。 山あいの豊かな自然に抱かれた同校を象徴する表現でもある。 プロジェクトの内容は▽附馬牛ミニガイドマップづくり▽生徒語り部▽ふるさと村ガイド▽常緑樹プロジェクト紹介ビデオ作成―

  • 忘れられた日本人/宮本常一: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 宮常一(1907-1981)さんは、昭和14年以来、日全国を歩き回るフィールド調査により、各地の民間伝承を収集した民俗学者です。こので宮さんはみずから訪ね歩いた辺境の地で聞き取りした古老たちが語るライフヒストリーをまじえながら、日の村々の民衆の暮らしを鮮やかに浮かび上がらせています。その老人たちの話はどれも個性豊かで、それぞれが小説か民話の主人公のように活気に満ちていて、これが普通の村に暮らす民衆の姿なのかと驚かされます。 村里生活者は個性的でなかったというけれども、今日のように口では論理的に自我を云々しつつ、私生活や私行の上でむしろ類型的なものがつよく見られるのに比して、行動的にはむしろ強烈なものをもった人が年寄りたちの中に多い。これを今日の人々は頑固だと言って

  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0239.html

  • 『自然と日本人 宮本常一著作集 43』宮本常一(未來社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「風景の歴史書を読んでつくづくと関心するのは、日の風景を構成している植物にも長い歴史があるということだ。山歩きをしていて里山におりてくると、杉林にであうことが多い。それまでの明るい道とは一変して、陽の指さないうっそうとした杉林には、他に植物も生えず、薄暗い道である。植林のために杉ばかり植えるからと思っていたが、宮によるとたんに営利的な植林のためではなく、焼き畑以来の自然な流れだという。 関東や近畿では広く焼き畑経営が行われ、そこであわ、ヒエ、ダイズなどがつくられ、一〇年ほど利用すると山に返され、また数年後になぎ倒されて火入れされる(p.61)。やがて焼き畑が禁止されて杉が植えられる。あるいは別の系列では、山焼き-アワ・ダイズ-コンニャク-ミツマタ-杉という順序を追って、杉山になっていく(p.63)。杉は焼き畑の初年度に植え、その間を利用して作物を作る。そして

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  • 【書評】『呪われたナターシャ 現代ロシアにおける呪術の民族誌』藤原潤子著 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    ■呪術の「リアリティ」構築 占いに一喜一憂し、パワースポットに癒やしを求め大挙して押し寄せる。ここ数年、日中を席巻したいわゆる「スピリチュアルブーム」も、やや落ち着いた感がある。ところで、ある特定の社会状況においてある特定の人々が宗教やオカルトに熱狂するという現象は、「魔女狩り」や「ニューエイジ」を例に挙げるまでもなく、古今東西珍しいものではない。 社会主義崩壊以降のロシアにおいては、人々の宗教やオカルトへの傾倒が顕著だという。書を通じて著者が追求するのは、このポスト社会主義状況下の現代ロシアにおける呪術(じゅじゅつ)復興現象についてである。 社会主義というかつてのイデオロギーの喪失と、呪術という新たなイデオロギーの蔓延(まんえん)は、後者の「迷信」的な性質を考えると必ずしも自明なつながりではない。ではどのように、現代ロシア社会において呪術は「リアリティ」を獲得しているのか。 書は、

  • 柳田國男『文豪怪談傑作選 柳田國男集 幽冥談』(ちくま文庫) - 探偵小説三昧

    台風、東京では思ったほど大したことなし。ただ、一部、表参道などでは冠水した模様。水害に遭われた方には気の毒だが、だいぶ涼しくなったのはほんと助かる。 ちくま文庫の文豪怪談傑作選から『柳田國男集 幽冥談』を読む。 柳田國男をまとめて読むのは、もしかすると三十年ぶりぐらいではないかと思う。何というか文系男子の嗜みとでもいうのだろうか(笑)、一度はフロイトと柳田國男は読んでおかなければならない風潮というのがあって、まあ、これが自分のようなダメ学生には非常に効果的だった。心理学や民俗学自体の面白さはもちろんあるのだが、理屈をこねるということがどういうことか、その理想形を見せられているようなところがあり、非常に勉強になったのである。 とりわけ柳田國男は文章のわかりやすさや面白さに加え、民話や伝説といった魅力的なテーマだったこともあり、一時期は非常にはまったものだった。ナップザックに二、三日分の着替え

  • ソローと宮本常一 - 記憶の彼方へ

    asin:4875022271 しばしば「森の哲人」と呼ばれるソローは、実は「海の哲人」あるいは「海辺の哲人」でもあった。書『コッド岬』はその証しである。*1 カバーの表題の右上に小さく「海辺の生活」とある。原書には見られない余計な配慮のようにも思われるが、これは明らかに『ウォールデン、森の生活』との対照を意図してのことであろう。しかし、飯田実氏が「訳者解説」の中で述べているように、その一見対照的な「森の生活」と「海辺の生活」とは、ソローにとっては「水」で繋がっていた。ソローはコッド岬で「海」を、より正確には、海と陸の境界としての「海辺」を再発見したのだ。ソローにとっては「森」と同様に「海」もまた文明社会の虚妄を暴いてくれる場所だったに違いない。 「第4章 浜辺(The Beach)」では、ソローは海鳴りが耳を聾するばかりに轟き続ける地の果てのようなコッド岬の海岸を歩いていたときにひとり

    ソローと宮本常一 - 記憶の彼方へ
    bono_hako
    bono_hako 2010/03/05
    ソロー『コッド岬』
  • 民俗学の入門書って?

    2 :うろぼろす:2000/07/13(木) 16:55 一般的な民俗学の概論書もあるけど、やっぱり宮常一の著作がいい のかな。例えば、「民俗学の旅」や「民俗学への道」「忘れられた日 人」とか。民俗学自体の内容というよりも、実感という点でも宮常一 の著作はいいと思う。 民俗学を専攻している友達も、よく後輩には宮常一をすすめていた なあ。 3 :名無しさん@1周年:2000/07/13(木) 19:39入門書と言えば・・・ 民俗調査ハンドブック(吉川弘文館) 民俗学の方法・井之口章次著(講談社学術文庫) の、いづれかでしょうな。 どちらかといえば後者の方が親切に書かれています 追:僕も宮常一は好きだ。 4 :みりゅちゃ:2000/07/13(木) 20:57調査者として民俗学ならば、宮常一がよいでしょう。 僕も好きです。尊敬してます。 でも、民俗学というそのものならば、 『現代民

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