「ETH」における、アインシュタインの最終的な成績は、理論物理学、実験物理学、天文学について「5」、関数論「5.5」、熱伝導についての小論文「4.5」、(いづれも最高点は6)であった。ただし、友人のマルセル・グロスマンが、きれいな完全に整理された講義ノートを、貸してくれたお陰であった。 1900年8月(アルバート21才)、アインシュタインは大学を卒業し、専門教師の資格を、他の3人の仲間と一緒にとった。他の3人はそれぞれ「ETH」の助手の地位をただちに与えられた。5人目の学生、ミレーバは、卒業試験に合格しなかった。そして、アインシュタイン自身は、職を得られなかった。これは、アインシュタインにとって手痛いことだった。ウェーバーが、助手の職を約束していたのに、その約束を破った。(ウェーバーとの対立がわざわいしたのだ。)アインシュタインは、ウェーバーを決して許さなかった。 悪いことは重なり、イ