石井一男という画家を特色付けるのは、たとえばこんなエピソードだ。 40代半ばから独学で絵筆をとり、百枚をゆうに超える作品をもちなから、一度もひとに見せたことはなかった。どの絵にもサインがなかったのは、見られることを意識せずに描いてきたことを物語っている。 彼を発掘したとされる画廊のオーナーが、個展をやろうといったあと、石井に要望したのは「これからは絵にサインを入れてください」だった。 テレビの『情熱大陸』に取り上げられたから、記憶に新しいひともおられるだろう。石井の評伝ともいえる本書と番組の放映の関係では、本書の取材が二年間にわたって先行し、テレビがあとから追いかける格好で進んだ。 石井一男のアトリエは、いまも変わらず神戸市内の長屋の一室にある。作品の大半が大学ノートサイズの小品なのは、空間的な狭さからそうなったらしい。ひとつのモチーフを突き詰めようとするかのように、童女のような聖母像を描