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2015年6月15日のブックマーク (2件)

  • 『21世紀の自由論』自由と不自由と非自由と - HONZ

    正直、リベラルとか保守とか、その手の話からは距離を置きたいというのが音である。一言で言えば、ややこしいからだ。左右を問わず角度のついたスタンスからの発言は力強いし、もっともらしく聞こえることも多い。そんな中で、内側のスタンスから中庸なことを物申しても、無力感が伴うだけだろう。その実行力はともかく、立ち位置の格差というものが確実に存在するのだ。だからサイレント・マジョリティが、大量製造されていく。 これは言い替えれば、「言葉が、議論する力を失いつつある」状況とも言えるだろう。見聞きする多くの言論は、何を軸に議論をしているのか、そういったプロトコルがあまりにも見えてこない。そもそも一人の人間と一つの思想が、一対一対応しているという前提にも無理があるのではなかろうか。 このような混迷きわまる政治哲学の現状を鮮やかに喝破してくれるのが、書『21世紀の自由論』だ。ジャーナリスト・佐々木俊尚氏が、

    『21世紀の自由論』自由と不自由と非自由と - HONZ
    bros_tama
    bros_tama 2015/06/15
    読んでみたい.同じ問題意識のようだ.「敵か味方か必ず二分されるから,味方でなければ必ず敵だ」というくだらない議論ばかりのメディアを打破して欲しいと思っていた.
  • 【コラム】韓国に今なお存在する日本軍国主義の残滓

    【コラム】韓国に今なお存在する日軍国主義の残滓 日の初代首相を務めた伊藤博文は1887年、当時小学生だった皇太子にかばんを一つ贈った。帝国主義日陸軍の歩兵が背負っていたかばんを模した、ランドセルだった。この皇太子は、およそ20年後、大正天皇(在位1912-26)になった。ランドセルの由来は、日軍国主義の精神を小学生に教えるところから来ているわけだ。日のあるバラエティー番組では、革で作った丈夫なランドセルの横に付いている、の袋を提げるための環が、もともとは手りゅう弾をつるすためのものだったと説明していた。2015年の今も、日の小学生はランドセルを背負って学校に通っている。ランドセルを背負った日の子どもたちを見るたび、軍国主義が重なって見えてどうにも困る。 こんなランドセルが、SKテレコムのテレビコマーシャルに登場した。SKテレコムは、子どもが手首に付ける小型スマートフォン(多

    【コラム】韓国に今なお存在する日本軍国主義の残滓
    bros_tama
    bros_tama 2015/06/15
    “ランドセルを背負った日本の子どもたちを見るたび、軍国主義が重なって見えてどうにも困る。“ 論理ではなく連想ゲームで決めつけるのか.それって軍国主義下の日本の思想統制と同じだぞ???