大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、御家人間で盛んに殺戮が行われている。にもかかわらず、なぜ鎌倉幕府は存続したのか、詳しく掘り下げてみよう。 ■源頼朝というカリスマ 12世紀後半、まだ平氏が全盛だった頃、東国には多くの豪族が盤踞していたが、決してまとまりがあったわけではない。なかには平家から圧迫される豪族もいたが、泣き寝入りの状況だった。そんな状況を変えたのが源頼朝だった。 平治の乱で敗北を喫した頼朝は、伊豆国へと流された。伊豆で頼朝は北条政子と結婚し、その父・時政という後ろ盾を得た。さらに平氏に不満を持つ東国の豪族は、頼朝に結集したのである。 こうして頼朝は平氏に挙兵したが、豪族らに対する態度は厳しかった。上総広常のような大豪族であっても、叛意を抱いた場合は容赦なく討伐した。それは範頼、義経といった兄弟でも同じで、従わなければ迷わず討った。頼朝は一種の恐怖政治で、豪族を従えたといえよう。