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ブックマーク / blog.ihatovo.com (5)

  • STAP細胞と特許 » 科学と生活のイーハトーヴ

    STAP細胞の話題に関連して、東京大学の伊東乾先生が、以下のようなツイートをしていらっしゃいました。 そもそも、特許出願期間中と承認後の違いと、論文などの公刊に関するイロハからしてとんちんかんな話ばかり いまのもそうだけど よくまあこれだけ三百大言を、しかも僕みたいな人間にまで正面切って偽名で(笑)書いてくる(のがいましたよね少し前も。頭変ですよああいうの)。あほらし— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) April 21, 2014 特許出願中の内容について論文公刊する企業も個人も研究所もありません。逆に特許まわりが済まないので論文が出せず、人事その他で苦労している助教やポスドクがどれだけいるか。こうした情報こそ弁理士とかがきちんと解説すりゃ済む話で、報道には奮起してもらいたいと思うところです。— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) April

    buhikun
    buhikun 2014/04/22
    法律要件と効果とか振りかざさんでも、一般に読めば分かる書きぶりがちょっと妬ける。あとステマ呼ばわりが既出で残念\(-_-;)オイオイ
  • 今週の気になった話題(2014年2月23日〜2014年3月1日) » 科学と生活のイーハトーヴ

    今週、気になった話題いくつか。 下から7割の人のための理科&算数教育Chikirinの日記 下から7割の人のための理科&算数教育Chikirinの日記 ちきりんさんが書かれた「理科教育」についての提言で、インターネット上で賛否両論かまびすしかった話題です。 かいつまんでいうと「今、教えられている内容を前提とすれば、数学や理科に関しては、全体の 3割程度の生徒が学べばよい(ちきりんを含め、下から 7割の人は学ぶ必要がない)」「残りの 7割の人には、今教えられてる内容に替えて(=その時間を使って)「生活するために必要な科学知識」を教えてほしい」という主張です。 このちきりんさんの主張にはまったく賛成できません。 まず、ちきりんさんが「今教えられてる内容に替えて(=その時間を使って)「生活するために必要な科学知識」を教えてほしい」とおっしゃっている内容を(私が専門の理科につ

    buhikun
    buhikun 2014/03/01
    理数系教育と法教育は通底するものがあると思え。トピカルな知識を摂取するだけでは足らず、理路を知って「自分の頭で考え」んと。それにしても「下7割」の人も同確率のくじ引きで裁判員に当たるんやで(苦笑)
  • いわき一泊二日の旅〜ニ日目 アクアマリンふくしまと海の幸〜 » 科学と生活のイーハトーヴ

    小雨がちな前日とうってかわって、快晴の朝! ついに、念願のアクアマリンふくしまへやってきました。 私たちのこれまでの行いの良さがしのばれる、この青空。 朝イチで開館を待つ、この気持ちがたまりません。 私が「アクアマリンふくしまに行ってみたいなあ」と思うきっかけになったのが、たとえば以下の記事。こんな素敵な記事を紹介すると、これから先の私の記事を読んでもらえなくなる可能性が高いのですが、あえて紹介しとくと、アクアマリンふくしまは、これくらい素敵な水族館です。 海の宝石のような水族館「アクアマリンふくしま」に行ってきた 水族館合宿 アクアマリンふくしま – tetzlgraph てつるぐらふ アクアマリンふくしま 合宿第2日 アクアマリンふくしまへ行ってきました – うさうさメモ アクアマリンふくしまの魅力は、生き物が、どんなふうな歴史をたどり、どんなふうな場所で、どんなふう

    buhikun
    buhikun 2013/07/02
    いわきはいい感じで復帰しとるみたいで喜ばしい/この夏は石巻から久慈まで三陸を遡上する(予定
  • 最終合格 - 科学と生活のイーハトーヴ

    しました。

    buhikun
    buhikun 2012/12/21
    おめでとうございます<m(__)m>当方も大試験まで半年切ったが、とても届きそうにないorz
  • 科学と生活のイーハトーヴ » 論理の飛躍と、洞察と

    いろんなことがらについて、すぐれた洞察を見せてくれる人というのがいる。 いろんなことがらについて、トンチンカンな思いこみばっかり言ってる人というのもいる。 どちらも最初は、論理が飛躍していたり、特別な事象をおもいきって一般化していたりする「仮説」にすぎないのだけど、結果としての洞察とトンチンカンをわけるものはなんだろうなあ、とよく考える。 軌道修正できるかどうか、は大きそうだ。 「もしかしてこうではないか」と思ったことについて、「ほんとうにそうなのか?」と考え続けること。観察し続けること。ほかの人の話を聞き続けること。 そして「思っていたのと違った」ということを受け入れて、また考えること。 だから、よく見ると、すぐれた洞察を見せてくれる人も、ときどきはトンチンカンなことも言っていたりする。 でも、ある程度の正しさや確度が証明されてからでなければモノを言ってはならない、みたいな

    buhikun
    buhikun 2011/08/09
    中間省略的な立論をする者は、原因と結果の相当因果関係につき立証責任を負う、でおKですかねえ(^(00)^;;
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