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2013年5月12日のブックマーク (7件)

  • 「兵士2万人に慰安婦15人」説の疑問と慰安婦の比率を示すいくつかの事例の提示 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    以前の記事にTBいただいたので。 id:bumble_crawlさんの説明は「キム・ワンソプ氏の著書『新親日派のための弁明(日版:親日派のための弁明2)』」から引いたとする説ですが、原型は「『SAPIO』2002 8/21・9/4合併号 9/25号」あたりで掲載されたらしく、WEB上では以下の記事を見つけました。 7:スパイク だが実際には、大部分で部隊で慰安婦が不足していた。2万人規模の師団慰安所が、たった15人の慰安婦で運営されていた事例も報告されている。この師団で設定された基準「軍人100人あたり慰安婦1人」を満たすためには200人以上の慰安婦が必要だ。そうした事実を勘定すると、実際の従軍慰安婦は理論上最大人員の10分の1から2分の1程度だったものと推定される。すなわち従軍慰安婦の数が最小9000人、最大でも4万5000人であったという結論になるのである。 (PC) 2003/6/

    「兵士2万人に慰安婦15人」説の疑問と慰安婦の比率を示すいくつかの事例の提示 - 誰かの妄想・はてなブログ版
    bumble_crawl
    bumble_crawl 2013/05/12
    読みました。
  • 1941年に記録された日本陸軍による性暴力犯罪 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C12120671700、陸支普綴 昭和16年度(防衛省防衛研究所)」という史料があります。 1941年における日軍による非行行為を軍別に記録したものですが、もちろん全ての犯罪が網羅されているわけではなく、あくまでも憲兵らによって把握できている件数に過ぎません。実数はこれより遥かに多いのは間違いありません。例えば、全体で7699人分の非行行為が集計されていますが、このうち4000人以上が内地での件数です。 内地 4073人 関東 1716人 北支 938人 中支 723人 南支 249人 全体 7699人 ちなみに1941年11月時点の総動員数は約185万人、そのうち148万人が中国・満州・朝鮮に動員されています*1。母数から考えても内地の非行件数よりも満州・中国での非行件数が少ないことはまずありえません。また心理的に言っても戦場である満州・

    1941年に記録された日本陸軍による性暴力犯罪 - 誰かの妄想・はてなブログ版
  • 「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その4 - Apeman’s diary

    戦争体験記・部隊史にみる日軍「慰安婦」」シリーズの紹介を一回休んで、今回は「アジア歴史センター」でオンライン閲覧できる史料から。このブログで既に言及したことのあるものですが、なんせ7年も前のことですので。 「アジア歴史センター」にはインターネット環境さえあれば誰でも簡単にアクセスできますし、史料のレファレンスコードか件名表題がわかっていれば検索も容易なのですが、なにせ量が膨大なもので漠然と「こんなものを探したい」という時に該当するものを探し当てるのはそう容易ではありません。おまけに翻刻はされておらず画像データですので、判読に手間取ることもままあります。というわけで、一般の読者にとっては「さほどアクセスしやすくないがアクセスできないわけではない」もの、という今回の趣旨にかなうでしょう。 「南京攻略に関する意見送付の件」 1937年11月30日 作成者:丁集団*1参謀長 レファレンスコード

    「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その4 - Apeman’s diary
  • 「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その3 - Apeman’s diary

    「資料構成 戦争体験記・部隊史にみる日軍「慰安婦」(1)」、日戦争責任〔ママ〕センター、『季刊 戦争責任研究』第66号、2009年冬、44-54ページ タイトルにあるように、旧軍将兵などが書いた回想記や部隊史に現れる軍「慰安所」の記述、日軍や連合軍による性暴力の目撃談などを収集したもの。なおタイトルの「(1)」など「( )」でくくった数字は原文では丸囲み数字(以下、および次回以降も同じ)。 全部で25の資料が「一、日軍人による性暴力」、「二、日人「慰安婦」…人身売買・誘拐等」「三、朝鮮人女性の誘拐と人身売買」と分類されて紹介されている。「一」に属する資料も軍「慰安所」制度の背景を理解するうえでは重要なのだが、ここでは割愛し、「二」「三」から一部を(そう、一部だけを)紹介する。 「二」の(3) 整理番号141:「橋爪健さんの話」、青柳忠良『続・聞き書き「地域の“戦争”の時代』、2

    「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その3 - Apeman’s diary
  • 「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その2 - Apeman’s diary

    「日軍「慰安婦」・性暴力に関する国会図書館文献調査の報告」、日戦争責任資料センター研究事務局、『季刊 戦争責任研究』第66号、2009年冬、55-67ページ 「日軍「慰安婦」・性暴力に関する国会図書館文献第二次調査の報告」、日戦争責任資料センター研究事務局、『季刊 戦争責任研究』第73号、2011年秋、40-47ページ 「日戦争責任資料センター」は1993年、2009年、2010年の3度にわたり、ボランティアの協力を得て国会図書館所蔵の旧日軍将兵による戦記、回想記に見られる軍「慰安所」や戦場の性暴力についての記述を調査している。93年の調査は格的な軍「慰安所」制度研究の初期に行なわれたもので、その成果は従来の研究書や概説書でも援用されてきたものである。したがって今回はとりあげないが、『季刊 戦争責任』の第3、5、7、9号にその結果が報告されているので、「証拠」を見たくて

    「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その2 - Apeman’s diary
  • 「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その1 - Apeman’s diary

    一週間ほど前に、私のツイッターアカウントあてにネトウヨが「南京虐殺の証が有れば教えてくれる?」などとメンションを送ってきたので、定番の資料集リストを第一弾として提示したうえで「全部読み終わったらまた連絡ください。続きを教えます」と返答したところ、速攻で「転進」をはじめるというお決まりの結果となりました。ツイートをいくつか削除しているようですが、その削除されたツイートでは「この手の証言はずいぶん見てきたけど」「君の証と言うのは証言のみなのか?」だのと、ご丁寧に自らの無知を晒すハッタリをかましてくれていました。 これがまったく特別な事例でないことは当ブログの読者の方であればよくご存知だと思います。南京事件にせよ、旧日軍「慰安所」制度にせよ、ネトウヨはそもそもどれほどの「証拠」が積み重ねられているかすら知ろうとしませんので、「資料集」として編纂され刊行されている「証拠」を突きつけられただけでも

    「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その1 - Apeman’s diary
  • 『「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その5 - Apeman’s diary』へのコメント

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    『「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その5 - Apeman’s diary』へのコメント
    bumble_crawl
    bumble_crawl 2013/05/12
    id:Apemanタイトルを読み直して趣旨を理解しました。良い記事なので本当に読むべき人間が読まないであろうことを残念に思っただけです。私はちゃんと読みますし「証拠を出せ」なんて言いませんから。