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2008年2月19日のブックマーク (12件)

  • 後人類的知性についての与太話: 極東ブログ

    与太話でも。先日、3日の日経コラム「春秋」(参照)にこんな話があった。もちろん、コラムだし些細な話である。春秋の筆法という趣向ではない。 ベランダに放置してあるプランターに、勝手に生えてきたタンポポやスミレが早くも花をつけている。狭い人為的な空間でも、みごとに生態学的な地位を築く草花のたくましさに驚く。心配なのは、彼らも我ら人類も、生存の基礎を全面的に委ねている地球の気候条件が、今大変動しているという科学者の指摘だ。 春秋子、あまり科学的なものの考えをなさらないのであろうが、科学少年の慣れて果てでかつ無粋なダーウィニストである私はこんなことを思った。「生存の基礎を全面的に委ねている地球の気候条件」とかいうけれど、別段温暖化がどんどん進んで人類が滅んでも、生命が途絶するわけではないよ、心配すんなよ、と。 氷河期だってなんどもあったんだし、そのおかげでむしろチャンスが回ってきたのが人間種の祖先

    castle
    castle 2008/02/19
    「進化の一般的な現象について考えるときに,私たちはサンプルを一つしかもっていないよね」「ベルクソンはそんな場としての宇宙を考え」「自滅する知的種を含んでいたのか、人類種の知性の到達に描かれていたのか」
  • 人類文明についての与太話・序説: 極東ブログ

    そろそろコソボ問題に言及しとくべき時期にきているようだけど、なんとなく昨日の続きのような与太話。今度は人類文明編。でも、書いてみたら今朝の除雪ならぬ、序説っぽくなってしまった。 高校生のころ図書館にトインビーの全集があって学校の世界史の勉強の参考書というか批判的参考書がてらにぽっつりぽっつり読んでいた時期があった。具体的なことはあまり頭に残っていないが、文明をフラットに見る感じと、微妙に大英帝国的な世界の感性の影響を受けたかと思う。彼は四大文明という発想を捨てるというか拡張し細分化していた。そのころ自分が思ったことで今でも覚えているのだけど、文明というのはようするに今の文明につながっているかどうかということだけが問題の軸なんじゃないかな、今の文明と途絶した文明というのはけっこうどうでもいいんじゃないかな、いや、むしろそういう文明こそが、我々の文明が学ぶべき点があるのかなとか、そんなことだっ

    castle
    castle 2008/02/19
    「四大文明という概念自体が知識が乏しかった過去のものといえる」「人の意識の起源の研究を進めるにつれ、意識は言葉に深く根ざしているため、人が言語能力を持たない進化段階では意識はなかったことに気づいた」
  • [書評]転生 古代エジプトから甦った女考古学者(ジョナサン・コット): 極東ブログ

    「転生 古代エジプトから甦った女考古学者」(参照)のオリジナルを読んだことはないがけっこう古いなので復刻かなと思ったら、後書きに訳者田中真知が「書をルクソールの屋で見つけたのは十数年以上前である」と書いていて、そうかと思って奥付を見ると、昨年11月20日の初版だった。ついでにこれが新潮社刊だったのかとあらためて気が付いた。 オリジナル”Search for Omm Sety: A Story of Eternal Love”(参照)は紅渡が生まれた1987年だ。最近、古いでも訳者からこれ絶対に面白いっス的な企画が大手出版社に登るようになったのかもしれないな。そう、これ、絶対に面白いっス。 とまで言っていいか、ちょっとためらうところもある。ネットでご活躍中の19世紀的科学的社会主義者諸賢とかには気持ち悪いのではないだろうか。アマゾンの紹介はこれだものね。 内容紹介 私はファラオの愛人

    castle
    castle 2008/02/19
    「社会のルール、あるいはさらにその社会的な貢献や規律において律せされるべき問題に、倫理でありえない科学を擬似的に倫理を変形して持ち込み、本来なら社会の融和たるべき倫理性に断罪的な属性を強いるのは欺瞞」
  • [書評]奪われた記憶(ジョナサン・コット): 極東ブログ

    先日のエントリ「極東ブログ: [書評]転生 古代エジプトから甦った女考古学者(ジョナサン・コット)」(参照)の訳者後書きに、コットを評して「……、自らの病と記憶喪失体験をめぐる『記憶の海の上で』など、多面的な好奇心を生かした緻密な仕事が特徴的である」とあり、気になってコットの最近の作品をアマゾンを見直したら、『記憶の海の上で』は、書、「奪われた記憶 記憶と忘却への旅」(参照)という邦題でほぼ同時期に出版されていた。オリジナルは「On The Sea Of Memory: A Journey From Forgetting To Remembering」(参照)であり、05年の作品だ。有名なインタビューの復刻を除くと、比較的最近のコットの作品のようだ。 邦訳副題が「記憶と忘却への旅」とあるがオリジナル副題の直訳は「忘却から想起の旅」となる。「転生」後書きからは、病と記憶喪失が関連し、そ

    castle
    castle 2008/02/19
    「私たちの記憶はなぜ存在するのだろうかという本質的な問いに迫まってくる何かだ」「私はガス室の写真を見たいとは思いません。ですが、大量虐殺が現在行われているルワンダやその他の地域の写真は、関心をもって」
  • [書評]さまよう魂(ジョナサン・コット): 極東ブログ

    邦訳「さまよう魂 ラフカディオ・ハーンの遍歴」(参照)が出版された1994年にざっと目を通していた記憶があるが、この年沖縄出奔など私事いろいろなことあり、そうした記憶に埋もれてしまっていた。ラフカディオ・ハーンほどではないが、自分もさまよう人生になりそうだなと思っていた。先日「極東ブログ: [書評]転生 古代エジプトから甦った女考古学者(ジョナサン・コット)」(参照)でも触れたが「転生」を読んだ後、こちらのも続けて読んだ。非常に面白かった。 書はラフカディオ・ハーンが日に至るまで、新聞記者として書いたコラムが数多く掲載されている。アンソロジーの趣向もある。前世紀のシンシナティ、ニューオーリンズの情景も米国という国の理解を深める点で興味深い。また、マルティニークの描写にも心惹かれる。 引用というのは長すぎる随所のラフカディオ・ハーンのコラムだが、読み続けていくうちに、コットがラフカディ

    castle
    castle 2008/02/19
    「成功する者はかならず大きな肩と優れた品行の持ち主。私が追随しようとむなしくあがいてきた分野で成功した青年達の軌跡を見ると、だいたいは首吊りか自殺か飢え死で終わっています」「私は個人――個人の魂だ!」
  • [書評]記憶と情動の脳科学(ジェームズ・L・マッガウ): 極東ブログ

    先日のエントリ「極東ブログ: [書評]奪われた記憶(ジョナサン・コット)」(参照)にも書いたが、コットのインタビュー相手、神経生理学者ジェームズ・L・マッガウによる、初心者向け書籍の邦訳がブルーバックスにあることを知ったので、この機会に比較的最近の脳機能の知識についてまとめておいてもいいかなと思い読んだ。「記憶と情動の脳科学」(参照)である。 一読して、特に新しい知見はないなと思い、ましてブログに書くこともないだろうと思っていたが、もし書くとしたらどのあたりがポイントだろうかと再読してみて、これは重要な書籍かもしれないと考えを改めた。 まず、これも先日のエントリ「極東ブログ: [書評]アリはなぜ、ちゃんと働くのか(デボラ・ゴードン)」(参照)ではないが、ちょっと利発な高校生くらいなら読んでおくとよい。ゴードンとは違った意味で、科学の考えかたというものがよく理解できる。 書だが一読して概ね

    castle
    castle 2008/02/19
    「合目的性や世界認識、予想といったものによって記憶や学習が秩序づけられている」「「健常者でも猛烈に記憶すれば海馬の構造が変わる」という事実は何を意味しているのか現段階では不明だが非常に興味深い」
  • 脱構築を脱構築する その2  倫理論編 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ラカンの否定神学的主体論 ラカンはフロイトの一部、「快感原則の彼岸」と重要視し、展開した。簡単にいえば、人間は快感原則=動物とは違うということだ。どのように違うのか。動物は先天的な遺伝子情報によって、多くが決定されているが、人間は後天的な教育が多くを占めているということだ。これだけだとなんだ、と思うが、ラカンがこれを人間のもつ欠如として捉える。よく言われる、人間は壊れている、ということだ。 人間は生まれながらに欠けている。それを取り戻すことが、人間存在のあり方である。それは他者を真似ると言うことだ。他者を自分の中に取り込むことで、主体となる。まず体面の他者に想像的に鏡像を見いだす。しかしこのような関係は他者との取り合いという闘争に至る。だから次に社会文化を取り込むことで、社会的に主体になる。これは具体的には言語を学ぶ問うことだ。言語体系を自らのものとしていくなかで、人とはどうあるべきかを学

    脱構築を脱構築する その2  倫理論編 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2008/02/19
    「脱構築という技術は、体系の全体性」「しかしこの手続きでわれわれが本当に獲得するものは、決して「外部」そのものなどではない」「メタレヴェルにおいて語るということの欲望は、所有の欲望にほかならない」
  • こんなのが良スレって言ってるのが多いことに絶望した!

    こんなのが良スレって言ってるのが多いことに絶望した! 官僚が仕事してないと思ってる人は、終電後の霞ヶ関に行ってみろ。煌々と明かりが点って、タクシーは長蛇の列だ。 無駄に仕事してるだけでしょ。世界の一流企業はそんな無駄なことしてない。

    こんなのが良スレって言ってるのが多いことに絶望した!
    castle
    castle 2008/02/19
    「米国人は意外と働く」「米国系会社の外人が働くのは金が理由。出世するといい金をもらえる」「インド人働くってのは同意」「(官僚は)残業しないとどうにもならないんだよ。ちなみに残業してもどうにもならない」
  • MORI LOG ACADEMY: 再び「すぎ」について

    WEB Davinci Last update 20 Jun,2004. WuƂɂ͏cDɊ҂BvԊO WuguKN̍hɕqȕ|͂ǂꂾHvԊO eWB fڎ҂ɂ͒IŐ}v[gI ̃v`i{ 6/5UP cȐ̖{oł�Â錻݁A ̒{ɂ낢{ɏo̂͂ȂȂނB vĂǎ҂݂̂ȂɁA_EB`ҏW Acホテル東京銀座 東京都 Anaインターコンチネンタルホテル東京 東京都 Bulgari Hotel 東京都 The Aoyama Grand Hotel 東京都 THE GATE HOTEL 東京 by HULIC 東京都 ウェスティンホテル東京 東京都 キンプトン 新宿東京 東京都 グランドプリンスホテル新高輪 東京都 ザ・キタノホテル東京 東京都 ザ・キャピトルホテル東急 東京都 ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町, ラグジュアリーコレクションホテル 東京都 シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホ

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    castle 2008/02/19
    「「教えてもらえること」というのは「メディア」」「大人たちの多くは、あくせく働いて、子供を巻き添えにしてこじんまりとした楽しみに終始している」「子供に「勉強しろ」と言うまえに、大人がもっと勉強すべき」
  • HD DVD報道について考える - コデラノブログ 3

    2月16日19時のNHKニュース、トップで取り上げられた東芝のHD DVD撤退報道について、今のうちに言っておこうと思う。 これを見た大半の人は、HD DVD敗北という印象を持っていると思うが、それはそれで正解である。ただこの報道の内容というか、立ち位置まで考察してみるとなかなか腹芸があって、味わい深い。 実はこの原稿、決定事項は何一つ述べていないのである。つまり、「HD DVD事業から撤退することで最終調整に入った」という事実がそこにあるだけだ。平たく言えば、「これから最後の相談に入ります」という観測的事実を述べているに過ぎない。 これに対して東芝側が、「決定した事実は何もない」とコメントを出すのも至極当たり前の話で、こちらも報道の事実をひっくり返すようなことは一言も言っていないのである。 これを腹芸と呼ばずになんと言おう。 おそらくHD DVD事業を展開している東芝デジタルネットワーク

    castle
    castle 2008/02/19
    「日本メーカー内で勃発した規格争いなのに、日本の消費者の選択である売上比率1対9ではなく、結局ハリウッドの映画スタジオの支持率3対7で勝敗が決まった」「日本の電子産業が、米国コンテンツ市場に踊らされた形」
  • 勝者はBlu-rayでもHD DVDでもなく、ハードディスク | スラド ハードウェア

    Seagate TechnologyのCEOであるBill Watkins氏が CES 開催中のインタビューで、 勝者はBlu-rayでもHD DVDでもなく、実はHDDであると発言したらしい。記事中で同氏は「Blu-rayが競争に勝利したと言われているが、それは問題ではない。当の争いは物的流通と電子的配信との間で行われており、Blu-rayもHD DVDもこの争いでは敗者だ。この争いでは、フラッシュメモリとハードディスクが同じ陣営にいる。決着はすでについており、物的流通の陣営は敗北した」としている。 物理メディアがフォーマット競争を繰り広げている間に時代は電子的配信に移っているだろ、ということのようだ。電子的配信されたコンテンツの格納場所としてHDDが使われるわけで、そうなればSeagateの成長は更に目覚しいものになるだろう。彼の言ってる話がごもっとも、となるだろうか。

    castle
    castle 2008/02/19
    「本当の争いは物的流通と電子的配信との間で行われており、Blu-rayもHD DVDもこの争いでは敗者。フラッシュメモリとハードディスクが同じ陣営にいる。決着はすでについており、物的流通の陣営は敗北した」
  • 社会の情報構造 - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります ジャンプしたり、走ったり。「筋肉が収縮する」という、ごく単純な動作の集積は、 骨格という構造により複雑な動作へと変換される。脳は身体を制御するけれど、 身体には、その構造それ自体に織り込まれている情報や「知性」を持っていて、 動作というものは、脳と身体との相互作用を通じて「創発」される。 身体の情報構造@デブサミDAY2より改変引用。 社会が持つ情報行動と、社会という系のなかで現場が陥ったかもしれない誤謬について。 社会記述の精度と不気味の谷 歩いていた人が、石につまづいて転ぶ。それまでは一定のリズムで収縮していた筋肉や関節は、 人が転んだ瞬間、今まで続けてきた動作を継続できなくなって、ダメージを受ける。 筋肉は目を持たない。お互いに、近く

    castle
    castle 2008/02/19
    「今はなんだか、そんなローカルネットが遮断されていて、社会身体が円滑に機能しないイメージ」単純に、脳だと思っていたものが細胞の壊死(酷使や経済の悪化など)で信用できなくなってきてるからじゃないかと。