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ブックマーク / sengoku-his.com (2)

  • 「大高城兵糧入れ(1560年)」家康、桶狭間の前哨戦で今川軍先鋒として危険な任務に挑む! | 戦国ヒストリー

    大高城兵糧入れとは、桶狭間の戦いの際に今川方に属した松平元康(のちの家康)が、今川方の拠点・大高城に兵糧を無事に運び込んだ任務を指します。 大高城は敵の織田陣営に深く入り込んでおり、今川方にとって最前線だったゆえに兵糧入れは極めて危険でした。今回はその兵糧入れにフォーカスしていきます。 家康の桶狭間参戦とその背景 永禄3年(1560)5月に勃発した桶狭間の戦いといえば、織田信長が今川義元に奇跡的な大勝利を収めた合戦で知られています。 松平元康(のちの徳川家康)は今川方の将としてこの合戦に参加しており、信長とは敵対関係にありました。というのも、家康は幼少のころより今川の人質に出されており、そもそも家康の一族である松平家自体が今川の従属下に置かれていたからです。 桶狭間合戦を仕掛けたのは今川のほうでした。当時の今川家は既に駿河・遠江・三河の3国を有し、しかも北の武田信玄や東の北条氏康と三国同盟

    「大高城兵糧入れ(1560年)」家康、桶狭間の前哨戦で今川軍先鋒として危険な任務に挑む! | 戦国ヒストリー
    castle
    castle 2023/03/01
    「桶狭間の戦いの際に今川方に属した松平元康(のちの家康)が、今川方の拠点大高城に兵糧を無事に運び込んだ任務~大高城は敵の織田陣営に深く入り込んで~今川方にとって最前線だったゆえに兵糧入れは極めて危険」
  • 迂回して奇襲?それとも正面攻撃?「桶狭間の戦い」の謎を探る | 戦国ヒストリー

    永禄3年(1560)5月19日、織田信長は桶狭間の戦いで、尾張に侵攻してきた今川義元を打ち破った。以下、合戦にまつわる諸説を取り上げ、その謎を探ることにしよう。 義元の尾張侵攻理由と、桶狭間の戦いの通説 そもそも義元が西進した理由については、 ①上洛説 ②三河支配安定化説 ③尾張制圧説 ④東海地方制圧説 などがある。 近年では、織田氏との長年にわたる抗争に蹴りを付けるため、尾張に出陣したという③説が有力視されており、①の上洛説は成り立たないとの意見が根強い。 戦いの結論を先に述べておこう。同年5月19日の午後、桶狭間は突如として視界を妨げるような豪雨に見舞われた。織田方はこの悪天候に乗じて、義元の陣に突撃した。不意を突かれた義元は脱出を試みたが、味方は次々と討ち取られた。義元は毛利良勝に組み伏せられ、首を討ち取られたのだ。義元を失った今川方は戦意を失い、一斉に桶狭間から退却した。これが通

    迂回して奇襲?それとも正面攻撃?「桶狭間の戦い」の謎を探る | 戦国ヒストリー
    castle
    castle 2023/02/24
    「迂回奇襲説(信長記):後ろの山へ軍勢を移動させ、迂回して奇襲」「正面攻撃説(信長公記)」「乱取り状態急襲説(甲陽軍鑑):今川軍が乱取り(掠奪)に夢中になった隙を狙って、酒盛りをしていた義元を討った」
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