[カイロ発]エジプトに行くのは今年に入ってもう三度目である。勤務先が日本研究を海外に広めるという使命を帯びているため、年に一度大規模な学術大会を外国で開く。今年はこれまでにつながりの浅いアラブ諸国に出向くことになった。 アラブ諸国である程度まとまった日本研究の制度を持つのはカイロ大学の文学部だけである。一九七三年の第四次中東戦争に際して、日本はアラブ産油国によるボイコットを受けた(石油危機)ことから、対アラブ文化交流の拠点として、日本側が働きかけて日本語日本文学科が開設された。日本から常時教授や教員を送り込み、卒業生に奨学金を与えて日本に招き学位をとらせてカイロ大の教員にして戻すなど、国際交流基金など日本側が丸抱えのようにして育ててきた。その後も日本に呼んで便宜を図るなど、きめ細かな配慮がなされている。しかし成果は砂漠に如雨露で水をやるようなもの。とはいえ、水を絶やすわけにはいかない。 そ