33歳の若さで亡くなった山口良忠判事 (c)朝日新聞社 @@写禁この記事の写真をすべて見る 今から68年前の10月11日、妻・矩子と幼い子供を残して一人の若き判事が死んだ。東京地裁判事で食糧管理法違反など経済犯を担当していた山口良忠(享年33)だ。闇米を拒否した末の餓死で、それに米国のマスコミは「プリンシプルの男」と最大限の敬意を表した。あの矛盾と欺瞞に満ちた戦後の混乱の時代を彼はいかに生きたのか。ジャーナリスト・徳本栄一郎が取材した。 * * * 白石町は佐賀県の有明海沿岸にあり、秋には見渡す限り稲穂の波が揺れる。 1947年10月12日、その田んぼの間の道を葬列が進んでいた。位牌を抱いて憔悴した女性と幼い2人の男の子、その後ろに親族や近所の住人が続く。降っていた雨も上がり晴れ間ものぞき始めた。彼らは白布で覆った棺をリヤカーに積み、川沿いの火葬場へ向かっていた。 その翌月の11月6日
コミックマーケット96に、「AKIRA」に登場する「オリンピック会場建設地の看板」のコスプレで参加する猛者が現れました。コスプレというか、足の生えた看板というか……。 そして装備すると、こう。マジレス申し訳ないですが、足、いる? 同作は1980年代の作品ながら、偶然にも「2020年の東京オリンピック開催」を示す看板が描かれており、しばしば「予言」と呼ばれます。投稿主の鰐軍曹(@WANIGUNSOU_arch)さんは、映画版に登場する看板を再現し、コスプレ衣装(?)に仕上げました。 強烈なインパクトから、コスプレはコミケ前日の参加予告時点で大人気。「コスプレ……?」といったツッコミもありましたが、鰐軍曹さんも「製作中は銭湯の絵を描いている気分だった」「あれ……これ俺いるか……?」と、自身の発想に戸惑っている様子でした。
毎年9月に市民団体が行っている、関東大震災の混乱で殺害された朝鮮人犠牲者の追悼式をめぐり、東京都の小池知事は、追悼文の送付を3年連続で見送る考えを明らかにしました。 これについて、追悼式を主催する市民団体は8日、都庁を訪れ、「オリンピック・パラリンピックの開催都市として、平和、友好、安全の都市を目指している今だからこそ、もう1回、知事に立ち止まって考えてもらいたい」などとして、小池知事に対し、ことしの追悼式に追悼文を送付することなどを求める署名を提出しました。 これについて、小池知事は9日の記者会見で、都が追悼式と同じ日に開いている大法要で、すべての犠牲者に追悼の意を表しているとして、3年連続で送付を見送る考えを明らかにしました。 そのうえで「関東大震災という大きな災害で犠牲になられた方々、そして、それに続いてさまざまな事情で犠牲になられたすべての方々に対しての慰霊という気持ちには変わりが
9日夕方、愛媛県四国中央市の病院で、刃物を持った男が看護師3人と駆けつけた警察官を切りつけ、合わせて4人がけがをしました。いずれも命に別状はないということで、警察は男を傷害と公務執行妨害の疑いで逮捕して詳しい状況を調べています。 警察によりますと、刃物を持った男に48歳から50歳の合わせて3人の男性看護師が切られ、胸や腹などをけがをして別の病院で治療を受けていますが、命に別状はないということです。 さらに男は、駆けつけた41歳の警察官に切りかかり左腕にけがを負わせたということで、警察は傷害と公務執行妨害の疑いで45歳の男をその場で逮捕し、詳しいいきさつを調べています。 病院のホームページによりますと、「松風病院」は昭和31年に設立され、内科、精神科、神経科があり、ベッド数は249だということです。 男性が刺されたという通報があった愛媛県四国中央市では、飲食店の従業員の女性が、国道沿いで警察
反芸術活動家・自称室伏良平くんの逮捕について https://twitter.com/SAKAI_Tooru/status/1159546642267140096 友人の反芸術活動家である自称・室伏良平くんが「あいちトリエンナーレ」関連で逮捕さ れたとの一報を受け、前日の晩に急きょ、その場に居た友人一同で「室伏良平くん救援会 」をでっち上げた。そのせいで、昨日は朝から終日救援活動に奔走することになってしま った。頭の先からつま先まで全く理解も共感も出来ん事件で走り回ってる自分に我ながら あきれる。 自称・室伏良平くんは、官制芸術展・「あいちトリエンナーレ」にずっと前から激しい反 発を表明しており(それこそ、「少女像」とかが問題になるはるか以前から)、「なごや トリエンナーレ」とかいう対抗イベントをやっていた↓。 https://www.nagoyatriennale.info/ https
藤沢市羽鳥にある国の登録有形文化財「旧三觜八郎右衛門家住宅」(主屋・門・石塀)が3年後をめどに解体される見通しであることが分かった。建物の保存を望む声があがっていたが、後継者不在などが理由ですでに不動産業者に渡っており、跡地は宅地分譲されるという。 同住宅は2013年に国登録有形文化財に登録。三觜家は室町時代までさかのぼる旧家で、江戸時代には旧羽鳥村の名主を務めた。明治期には13代目が漢学者の小笠原東陽を招へいし、私塾「耕余塾」を開設。元首相の吉田茂や味の素創業者の鈴木三郎助などを輩出したことでも知られる。 1878(明治11)年頃に建てられた主屋(143・3平方メートル)は木造2階建。平屋がほとんどだった当時としては珍しく、良質な木材をふんだんに使った内装や細部にこだわった装飾など、かつての意匠を今に伝えている。 建物は長年三觜家ゆかりの個人が所有。今年3月までは週2日、一般公開もされて
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