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教育再生会議に関するcham_aのブックマーク (5)

  • 2007-04-28 - 赤の女王とお茶を

    が「子供を作りたくない国」であるこれだけの理由 政府はもう出生数を増やす気ないんでは。 だって留学生100万人計画なんて言ってますしね。 政府の教育再生会議の第3分科会(高等教育)が18日開かれ、海外から優れた学生を招致するため、25年ごろをめどに「留学生100万人計画」を策定することで意見が一致した。5月の第2次報告に盛り込む方向で検討する。 どうも彼らの「脳内ジャパン北米版」はこんな感じらしい。 少子化が進む日。 日の下流層は安定を好み、煽ってもシバいても一向に発奮しない。 正直、日には彼・彼女らは必要ない。 なにしろ留学生100万人計画を筆頭に海外の精力的な労働力を取り入れれば、アメリカのように市場も大学も活性化してベンチャーがどんどん立つし、日の下流もこれで発奮するだろう。 日はまた昇る。ライジング・サン、アゲイン! 移民は子供もバンバン生むというし、万事解決というわけ

    2007-04-28 - 赤の女王とお茶を
  • 『赤の女王とお茶を - いいかげん、教育を「量」で考えるのをやめたらどうか』へのコメント

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    『赤の女王とお茶を - いいかげん、教育を「量」で考えるのをやめたらどうか』へのコメント
  • 孤立力 - 偉愚庵亭憮録

    例の会津若松の高校生が母親を殺害した事件について、思うところを述べておきたい。 報道によれば、容疑者の少年は、中学校時代までは成績優秀でスポーツにも秀でた模範生であったのだそうだ。それが、生まれた町から離れた高校に進学してから様子が変わった、ということらしい。具体的には「暗い」「友達のいない」「何を考えているのかわからない」「孤立した」生徒に変貌した、と。 なるほど。 このテの事件が起こると、必ず繰り返される定番のストーリーだ。ネオ麦茶以来。いや、もっとずっと昔の、それこそ宇治拾遺の時代から連綿と続く挿話ですね。 報道が事実に反していると言いたいのではない。きっと、取材してみると、事件の周囲にいる人々は異口同音にこのプロットに沿ったお話を繰り返すのであろうし、彼らがウソを言っているわけでもないのだと思う。 ただ、私は、この「少年の孤立」という一つ話を、あんまり過大に評価することは、事件その

    孤立力 - 偉愚庵亭憮録
  • 脅威臭い成果異議 - 偉愚庵亭憮録

    前のエントリーについて、ちょっと補足をば。 「孤立力」というタイトルの付け方がちょっと誤解を招くかもしれないと思ったもので。 タイトルにこの言葉を持ってきたのは、「○○力」という言い方が流行しているからちょっと乗っかってみただけのことです。 つまり、通常の意味あいではネガティブな性質の言葉に「力」という言葉をつなげてみて、その逆説を楽しむ、と。 まあ、単なる皮肉ですよ。 私の意図は、「暗い」「友達のいない」高校生の立場を擁護してみるところにあった。 といって、すべての高校生が孤立すべきだと主張したかったわけではない。 要は、人間は違っていて良いのだ、ということ。 そういえば、「五体不満足」の乙武洋匡君が、どこかの雑誌で、教師になった動機について「子供たちに『みんな違っていていいんだよ』ということを言ってあげたくて」という意味のことを言っていた。 素晴らしい。 彼のような人の口から発せられる

    脅威臭い成果異議 - 偉愚庵亭憮録
  • あいさつ通り - 偉愚庵亭憮録

    あいさつについてもう少し。 あいさつは人間の基である。 しっかりとあいさつができるということは、人としてとても大切なことだ。 とはいえ、どういう場合にどういうあいさつをするべきなのか、あるいは、誰にあいさつをして誰にあいさつをするべきでないのか、といったあたりの機微は、最終的には、個人の判断に委ねられるべき性質の事柄だ。というよりも、あいさつは、公的なマナーである以上に、個々人の心理的事情に属するプライバシーでもあるわけで、他人という外界に直面した個々の人間が、それぞれの縄張り意識や対人感覚を表現するための、極めてデリケートなインターフェースであったりもする。それゆえ、教育委員会やお国みたいなものが、介入したり教育したり成文化したり奨励したりするにふさわしいものではない。 ……言い方が難しいかったかだろうか。 たとえば、登山道の中には「すれ違う人間同士があいさつをする」ということが、半ば

    あいさつ通り - 偉愚庵亭憮録
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