反サミットデモとかで「不当逮捕だ!!」とか言ってた人たちは、なんで、なんちゃって殺害予告には「不当逮捕だ!!」って言わないの? 反動くさいネットの連中なんて助けたくないから?
すごくおいしい牛乳の話だと聞いていったいどこの牛乳だろうと見に行って、思わず読み耽ってしまった話。 発言小町 「私が悪いけど、友人の前で・・」 「謝罪文には自分の言い訳や立場は書かない」 「謝罪文に「~ので」「~だったから」は禁句」そうだったのか。(驚) いや、言い訳を書いてはいけないのはなんとなくわかっていたけれど(はっきりとはわかっていなかった)、このトピ主が書いたものが「言い訳」に当たるとは思わなかった。 最初にトピックを読んだときにはトピ主のことを「非常識な人」と思ったんだけれど、牛乳名だけ見ようとトピ主名でページ内検索をかけて拾い読みしていたら、他の人からの意見を読んだトピ主の返事とそこに載せられたAさんへの謝罪文について書かれた意見が目に入って、私かと思ってしまった。(そんなのばっか。) 私は基本的には自分でできることは極力自分でする方なので、このトピ主のような人への頼り方はし
橋下知事の政策、困ったもんだなあ、という感じが段々強まってきた。 橋下だけではなくて、「橋下現象」みたいなものが。 橋下という人を見てると、可視性とか透明性とか、光を当てることに対する強迫観念みたいなものがあると思う。 これは、ネオリベ的なものに共通した特徴だということは、『戒厳令下チリ潜入記』とかにも書いてるらしい。 物は光と影があってはじめて見えてるわけだから、過剰に光を当てたいというのは、やっぱり「見たくない」という意志があることは間違いない。だから、強迫観念。 ただ、ちょっと思うのは、橋下の手法として、性急に問題を表面化させて進めようとする志向自体は、それなりの共感される必然性がある。 それは、生活が逼迫してるような人ほど、そうだろう。 「透明にしてほしい」という気持ちや、直接的に物事を解決したいみたいな願望は、みんなにすごくあるんだろうと思う。 ただ、それは本当は「見えない部分を
試験の成績が下位になるなら、責を負うべきは教育者であるはず 教育者の能力が無いから、同じ日本人である大阪の児童の試験での成績が悪いって以外の理由があるなら言ってみろ http://anond.hatelabo.jp/20080912053641 子どもをじゃんじゃん塾に通わせたり家庭教師つけたりしてる高級住宅地の小学校と、親共働き学歴低め低所得者層向けアパートの建ち並ぶ地区の小学校では、前者に厚く後者に薄く予算配分すべきということですね。つまり公的予算を使って家庭の塾代など教育支出を更に煽るべきである、と。 でもって前者の学校の教師は良い教師で後者の学校の教師は悪い教師なのですね。後者の学校から逃げ出して前者の学校に行く教師は良い教師とみなされて、後者の学校にとどまり教育し続ける教師はダメ教師とレッテルを貼られるわけですね。 そして、試験の結果はじゃんじゃん公表して、後者の学校の子どもに「
Yahoo!のニュースで↓こんなのを見た。 森山直太朗、ネットで話題の新曲に「賛否両論あってしかるべき」 で、どんな歌かと思ってYouTubeでさがしてみたんだけど。 あら、普通にいい歌じゃん。 生きてることが辛いなら 生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい が問題、っていう人もいるみたいだけど ここだけ切り出して問題視してもねぇ。 全体的には 辛かったら、辛くないふりなんかしなくていい。 辛い、辛いと、ジタバタ生きようぜ。 カッコ悪くたって、構わない。 どうせみんないつかは死ぬ、限りある命なんだから カッコ悪く、死ぬまでジタバタジタバタ生きてやろうぜ! っていうことかな、と、わしは思ったんだけど。 生きていることが辛いなら くたばる喜びとっておけ なんて、いい歌詞だね。 うん、くたばる喜び、とっとくよ。 「生きていることが辛い人に向かって いっそ死ねとは、ひどい!」 というのが、
「人間を善人にする薬物」:道徳心は薬で強化できるか 2008年9月12日 社会 コメント: トラックバック (1) Alexis Madrigal Photo: flickr/Chebbs 適切な薬物を服用すれば今よりも良い人間になれるのだろうか? 英国のある精神科医が、著名な精神医学雑誌に発表した新しい論文の中で、こうしたことは可能であり、実行すべきだと主張している。それどころか、多くの臨床の現場では、人を「道徳的に強化」する薬物がすでに使用されていると、この医師は述べている。 この医師はシェフィールド大学教授のSean Spence氏で、『British Journal of Psychiatry』に掲載した今回の論文の中で、「多くの臨床の現場では、すでに目立たない形の道徳的な補助療法が、そうした用語を使わないにせよ、実行されている可能性がある」と書いている。 運動能力向上薬は通常、ス
ドメスティック・バイオレンスを、私的な関係における私的なトラブルではなく、社会的な対策・介入を必要とする社会問題であることがはじめに主張されたのは、とくに英米両国における第二波フェミニズムの盛り上がりの中においてだった。当初は「バタード・ウーマン」(殴られた女性)という言葉で呼ばれていたそれが、広く社会問題として認知されるにつれ、より範囲の広い−−被害者を女性に限らないという意味だけではなく、精神的・経済的な拘束も射程にいれた−−「ドメスティック・バイオレンス」(DV)という言葉が採用されるようになった。そして米国における一九九四年の「女性に対する暴力法」、日本で二〇〇一年に施行された「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」といった法的制度が整備され、また各地に被害者の保護とDV防止をよびかけるさまざまな支援団体や相談窓口も設置された。 そうした支援設備のうちもっとも良く知ら
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