ニセ科学批判は、思想として観察することが適切である。今やニセ科学批判を科学として観察しては的を得ない。 私は、これまで社会科学・自然科学を問わず、一つの観念体系が思想として人々に採用されていく現象を観察することに心がけてきた。宮台社会学についても、科学というよりも、思想として観察してきた。湯浅氏の反貧困理論、後藤氏の俗流若者論批判や浜井浩一らの治安悪化神話批判も、一つの思想として機能している。 学説や理論は、いくら提唱者が科学や事実等と称しても、それとは次元を異にして、ネットやマスコミを通じて他者に伝達され、人口に膾炙した時点においては、人々に思想として利用されてしまうのである。そして、一度、思想となると、観念体系は別の機能をもちはじめる。これを観察することが、私のブログの目的である。 社会学的立場からは、思想の定義は以下である。 思想とは、自我統合機能や社会統合機能をもつ観念体系である。