宮沢りえと古田新太、二人で一つの人格、美輪明宏の器の大きさを表現 小山内伸 評論家・専修大学教授(現代演劇・現代文学) 美輪明宏は芸能人として、いや日本人としても特異な存在である。 長崎の遊郭街に育ち、歌手を目指して15歳で上京。銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で美少年歌手として売り出し、注目を集める。 男でも女でもないビジュアル系の格好で舞台に立った。「だから日本人は、デヴィッド・ボウイやボーイ・ジョージが出てきた時、誰も驚かなかったんです。そのずっと前に私がいたから」と、このほど公開された映画『美輪明宏ドキュメンタリー』(パスカル=アレックス・ヴァンサン監督)の中で自負している。 歌手としては1957年のシャンソン『メケメケ』でブレーク。さらに自作の『ヨイトマケの唄』がヒットし、シンガー・ソングライターの草分けとなる。 三島由紀夫、吉行淳之介、寺山修司など文化人とも親交を持ち、寺山の演劇