正月に会ったのだけど、また母に誘われて食事。 私が正月にした打ち明け話の、母なりの答えを考えてきたらしい。 はい。その意見も頭の隅に置いておきます。 それ以外の話も色々と聞く。母の最近出たダンスの競技会の話とか投資信託イイワヨとかダンナさんの話とか。 私の親友は、母の話し方をマシンガントークだと笑って評したことがあるけど、ほんとそう思う。息をする暇もない。 話がいつしか別れた父の虐待話に向かい、精神的に身構えてなかったのでかなりぐったりする。 母は私のことを娘というより姉妹のように思っていて、昔から何でも打ち明け話をするのだけど、それが母のストレス解消になるのならと黙って聞く。でも本当は聞きたくはない。 そうですか。でも、あなたと私の決定的な違いは、あなたにとっては選択を失敗した元配偶者に過ぎませんが、私にとっては遺伝子の半分を共有する存在なのです。それがどんなにおぞましいことであるか。あ
これが「棒の手紙」だ! 平成8年から9年にかけて世間を騒がせた「棒の手紙」――僕はたぶん、それを徹底分析した日本でただ1人の人間だと思うので(笑)、その分析結果をここに残しておきたい。 僕が「棒の手紙」のことを初めて知らされたのは、「オタク座談会」シリーズを出している音楽専科社の編集者からだった。 音楽専科社は『アリーナ37℃』という音楽雑誌を出しているのだが、その文通希望コーナーに名前が載った人の中で、「不幸の手紙」の被害に遭う人が続出した。「こわくて捨てられない」という訴えを受けた編集部では、「『不幸の手紙』を受け取った方は編集部までお送りください。こちらで処分します」と呼びかけた。すると「不幸の手紙」が編集部宛てに続々と回送されてくるようになった。 ところが、途中で字の汚い奴がいたらしく、「不」と「幸」がくっついて「棒」になってしまった。しかも「文章を変えずに」という指示がある
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