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登山と組織に関するcinefukのブックマーク (3)

  • 1902年1月の八甲田山雪中行軍遭難事故の真実/鮮やかに蘇った120年前の天気図と気象状況

    登山者ならずとも、冬山での遭難事故として、多くの人が知っている『八甲田山死の彷徨』。1902年(明治35年)に199名が凍死した大惨事の原因は大寒波と異常低温とされているが、実際に当時のデータを紐解いてみると、意外な事実が浮かび上がってきた。 山岳防災気象予報士の大矢です。一時は中心気圧905hPaの猛烈な勢力まで発達した台風2号が、勢力を落としながらも「黒潮ルート」を進み、黒潮から吸い上げた大量の湿った空気を梅雨前線に送り込んだため、6月2日は各地で線状降水帯による豪雨で大きな被害を与えました。皆様のお住まいの地域で被害を受けた方がみえましたら、心からお見舞い申し上げます。 さて今回のコラム記事では、長年にわたって知りたいと思っていた有名な1902年(明治35年)の八甲田山雪中行軍遭難事故の気象状況について、ようやく再現することに成功しましたのでご紹介したいと思います。 これまではJRA

    1902年1月の八甲田山雪中行軍遭難事故の真実/鮮やかに蘇った120年前の天気図と気象状況
    cinefuk
    cinefuk 2023/06/18
    "当時の軍部は、雪中行軍遭難事故の責任の所在を曖昧にするために、『遭難始末』において遭難事故の原因を「未曾有の寒波」のせいにしたのではないかと思われます。大きな遭難事故の背景には必ず人的要因が存在する "
  • 登山靴で蹴り、“精神棒”で腹をえぐる…56年前の「農大ワンゲル部死のシゴキ事件」はなぜ起きてしまったのか(中小路徹)

    東京オリンピック開催が迫る中、日スポーツ界の体質を再考する意味で、ある昭和の事件を振り返ってみたい。1965年(昭和40年)に起きた東京農大ワンダーフォーゲル部の「死のシゴキ事件」だ。上級生や監督による暴力が繰り広げられた3泊4日の山岳縦走の末、新入生1人が亡くなった。 前年の1964年東京オリンピックで金16、銀5、銅8のメダルラッシュを遂げ、肯定的に叫ばれた「根性主義」がはき違えられた結果、という見立てが当時からあった。その質的な問題は、部活動をはじめとする現代のスポーツ界にもなお通底していて、拭いきれていないのではないか。 当時の新聞報道などから、事件のあらましを再現してみたい。 緊急搬送された学生の「異様な傷跡」 腕や背中一面への擦り傷。特に背中には、直径20センチほどのえぐられたような傷痕。両足の太ももも紫色に腫れ上がっている。そして、眉間から鼻にかけての打撲傷。 入院した大

    登山靴で蹴り、“精神棒”で腹をえぐる…56年前の「農大ワンゲル部死のシゴキ事件」はなぜ起きてしまったのか(中小路徹)
    cinefuk
    cinefuk 2021/07/01
    『心身を鍛え上げる指導という名のもと、暴力の正当化や、権威主義といったゆがみも、スポーツ界で生じてしまった。従順さ、理不尽なことに耐える、その我慢強さが社会で生きる。そうした美徳が、死のシゴキ事件に』
  • 天皇陛下、山岳会の年次晩餐会ご臨席

    天皇陛下は7日、東京都新宿区の京王プラザホテルを訪れ、日山岳会の年次晩餐会に臨席された。同会は明治38年に国内初の山岳クラブとして設立。登山が趣味の陛下は昭和62年に会員となり、皇太子時代から折に触れ晩餐会などの行事に参加されているが、即位後は初めて。

    天皇陛下、山岳会の年次晩餐会ご臨席
    cinefuk
    cinefuk 2021/03/03
    皇太子時代の名札はどうだったのだろう https://t.co/AYVXbWo8Fs 『 #日本山岳会 は明治38年に国内初の山岳クラブとして設立。登山が趣味の陛下は昭和62年に会員となり、皇太子時代から折に触れ晩餐会などの行事に参加されて』
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