1949年(昭和24年)、東京大学卒業。毎日新聞社に入社。政治部に配属される[8]。 1951年(昭和26年)5月、岸信介の長女・洋子と結婚[9]。 1956年(昭和31年)12月23日、石橋湛山内閣が成立。岸が外相として入閣したのを機に毎日新聞を退職し、外務大臣秘書官となった。同秘書官になった頃から、総選挙に出馬を考えていたが、岸や岸の実弟の佐藤栄作から時期尚早と反対された[要出典]。 1957年(昭和32年)2月25日、第1次岸内閣が成立。安倍は内閣総理大臣秘書官に就任した。 1958年(昭和33年)の第28回衆議院議員総選挙に、郷里の旧山口1区(定数4)[注 2]から自民党公認を得て立候補。安倍が出馬したことにより、地元の旧日置村では、父の安倍寛の地盤を継いだ周東英雄を推す主流派と、安倍派に分裂したが、2位で初当選する[10]。この時の総選挙では竹下登、金丸信が初当選しており、新人時