≪もし、自力と「知」によって他者を愛しみ、他者の困難や飢餓をたすけ、他者の悲嘆を一緒に悲しもうとかんがえるかぎり、それは現世的な制約のために中途半端におわるほかない。たれも、完全に成遂することはできないからだ。これは諦めとして語られているのではなく、実践的な帰結として云われている。そうだとすれば、この制約を超える救済の道は、現世的な<はからい>とおさらばして浄土を選び、仏に成って、ひとたびは現世的な制約の<彼岸>へ超出して、そこから逆に<此岸>へ還って自在に人々をたすけ益するよりほか道がない。そのためには念仏をとなえ、いそぎ成仏して、現世的なものの<彼岸>へ行くことを考えるべきである。それこそが、最後まで衆生の慈悲をつらぬき通す透徹した道であるとー。≫ と抜き書きだけにしようと思ったが、自分なりに少し整理ができた。 どこまでも現世的なはからいを期待できる、あるいは浄土なんかなくたって大丈夫