現象学的明証性とエビデンスをめぐって (2012/9/6 UP) 「山竹氏の悲劇」あるいは「疑似エビデンス主義」について 西 この前(2012年6月末)に、国際人間科学研究会議(International Human Science Research Conference: IHSRC)というものがモントリオールであって、竹田青嗣さんたちといっしょに参加してきました。これは現象学を、心理学、医療、看護、教育などに応用しようとする人たちの会議なんですが、そこでぼくが発表したのは「エビデンス」についてです。「エビデンス」という言葉は、自然科学では「証拠」というニュアンスで使われています。実験や統計をとってみることを通して得られる証拠、という感じですね。「あなたの意見には、エビデンスはありますか」というような言い方で使われる言葉です。 しかし、このエビデンスという言葉は、現象学では、明証性と訳さ
西研さんのHP(2012年9月6日)の「現象学的明証性とエビデンス」(http://www007.upp.so-net.ne.jp/inuhashi/)を読んでの感想です。英語のEvidence は、辞書に以下の説明がついていました。「あることが真であることを証明するものという意味ではproofがもっとも一般的で,疑問の余地がなく確実にという意味合いを伴う. evidenceはあることの真実を証明するに足ると思える事実や情報という意味で,しばしば,あることのしるし・表れという程度の意味になる」。Evidence の語源を探ると、語幹はラテンのvidere(見る)で、これにe-(外に)がくっついたもののようです。e-(外に)は、自然的態度の反映かもしれませんが、、。 臨床医学の分野では、(英語のevidence だけでなく)日本語のエビデンスは、根拠、証拠という意味合いで使われます。医師から
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