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性差別に関するcometoriのブックマーク (7)

  • 「内心」は不自由だし、ポルノを楽しむのは「悪」だ - ohnosakiko’s blog

    アンドロイドの人権と神さまとセカンド・レイプ - はてこはだいたい家にいる 「内心の自由」を巡ってのコメント欄の混乱が、ブコメにも波及している。 「内心の自由」とはもともと、憲法19条の「思想及び良心の自由」を下支えする概念だ。戦前の国家の思想統制に対して出てきたもので、他者の人権に抵触しない限りにおいて最大限保障されるべきことになっている。 従って「内心の自由は保障されている」と言わねばならない局面とは主として、思想及び良心の自由が国家あるいはそれに準じる権力装置によって侵害されそうになった時だろうと思う。 冒頭で引いた記事及び一連の記事の内容は、ポルノの人権侵害と「良心」を巡る議論の一つである。レイプものなど被害者が見たら傷つくであろう性的ファンタジーを、語るだけでなく、楽しんでいることへの疑義が示されている。 一連の議論を追いかけている人ならわかるはずだが、最後の一文はAntiSep

    「内心」は不自由だし、ポルノを楽しむのは「悪」だ - ohnosakiko’s blog
    cometori
    cometori 2010/05/11
    ブクマし忘/私の場合は『ここに描かれているのは「悪」だと判断』というより「逸脱」だと認識、のほうが正確かな。虚構であること込みで認識(≠判断)している/形式と内実を剥離して「判断」するなら、か。んー。
  • 堀田義太郎 性売買と性暴力――身体性の交換と自己決定の限界

    ■堀田義太郎 20070610 「性売買と性暴力――身体性の交換と自己決定の限界」,『女性・戦争・人権』8, 行路社, pp. 96-129 はじめに 性売買【1】をめぐる従来の議論では、性を売る人(性労働者)の「性的客体化」と「性暴力」との関係が正面から問われてはこなかった。だが、現在の性売買における暴力などの危険性をなくすためには、性売買における性暴力の要因への問いは不可欠である【2】。稿は、現在の性売買において売られている商品(性商品)の特異性という観点から性労働者の性的自己決定を阻んでいる要因を明確化し、これを取り除く方策とその正当性を示す。 性売買をめぐる日の議論の軸は、1980年代の女性学やフェミニズムにおける「性の商品化の是非」論から、90年代以降のセックスワーク(性労働)論を受けて性売買の現場の労働条件の改善という課題へと移行してきた【3】。性を売る人の労働者としての権

  • 性暴力は自衛可能か? - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    0.文に入る前に 最初にお断りをします。この記事では、直接的な性暴力の被害経験の触れています。性暴力についての記述を読んだときに、気分が悪くなったり感情がセーブできなくなったりすることがあります。被害経験がある人はもちろん、そうでない人もご注意ください。(そうした記述を、身を守るために読まない、という選択もあるべきだと、私は思っています) 次に上記以外の理由で読む気がない人向けに、結論を書いておきます。 【結論】 性暴力において、被害者を出さないための、決定的な方策はいまだみつかっていない。他者と信頼関係を結ぼうとする中で、加害者は被害者に性暴力をふるう。加害者が性暴力という行為に至るメカニズムは、判明していない。他者とのつながりを求める限り、親密な関係におけるレイプは、防ぎきれない。だが多くの人々は、他者との親密な関係を拒絶することを、選ばないだろう。そこで、性暴力の危険性を認知しなが

    性暴力は自衛可能か? - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
  • 北米社会哲学学会報告5/売買春、フェミニズム哲学、承認をめぐる闘争

    だんだんネタの鮮度がさがってきて最初ほど面白くないという噂もある北米社会哲学学会報告、今回はともにキャサリン・マッキノンの思想とフェミニズム法哲学に関連した発表二件について。「Toward a Feminist Theory of the State」などの著作を読んでマッキノンの主張を理解している人は別として、彼女の主張を「反ポルノ、反売買春」の文脈だけで見聞きして、そのおかしな主張(ごめん)がどういう理屈で成り立っているのか不思議に思っている人には、簡単なマッキノン入門編になるかも。あと、フェミニズム法哲学の弱点を乗り越えるものとしてアクセル・ホネットの承認理論を元にした「承認の法哲学」なるものも登場する。 第一の発表は、ポートランド大学哲学学部の Jeffrey Gauthier による、売買春の法的・倫理的な扱いに関して哲学者が取り得る立場の分析。とくに Gauthier は、対照

    北米社会哲学学会報告5/売買春、フェミニズム哲学、承認をめぐる闘争
  • 性犯罪における言説――「自覚」すべきは誰か - 地を這う難破船

    はてなブックマーク - http://www.asahi.com/national/update/0216/SEB200802160003.html ⇒強姦被害から自分を守るために、少しでも意識したいこと。 ⇒これはとても不思議な現象なんだが ⇒性犯罪の被害者がどんなに愚かでもそれに言及するのは許されませんか ⇒http://koerarenaikabe.livedoor.biz/archives/51129051.html ■ 結局のところ。この種の事件が報じられるたびに判で押したかのごとく繰り返される言説がある。延々と。誰も、好きこのんでこのような話題に言及したくはない。被害当事者があることだから。事件が報じられるたびに、毎度のごとく繰り返され回帰する言説がある。すなわち、言説の延々たる回帰には強固な因がある。それを問題と考えるから、こうして執拗に同じことを記すことになる。 事後にお

    性犯罪における言説――「自覚」すべきは誰か - 地を這う難破船
  • あなた自身もそう書いているけど、「女性が女性である限り性犯罪の対象と..

    あなた自身もそう書いているけど、「女性が女性である限り性犯罪の対象となり得ること」は、親から教えてもらわなくったって自分の身を持って知ることだと思うんだよな。 そしてそれを知ったからといって「防げるようなものではない」。 道を歩いていたら通りすがりに胸を触られる、通学で電車に乗っていたら痴漢にあう、こういったことは、非常によくあることだけれど、こんなのを防ぐ方法なんて存在しない。被害にあうのに服装なんて関係ないし、人がいない道を絶対に歩かないようにするなんてことは不可能だよね? 仮に、電車にも乗らない、外は一切出歩かないという(ありえない)生活にしてみたところで、家にいたって安全な訳じゃない。女性が一人で家にいるところを狙って進入してくる輩もいるわけだから。 そもそも、催涙スプレーの携帯は、何の「防止」にもなってない。携帯してたところで、痴漢にはあう(実際あなたもあっている)。犯罪被害にあ

    あなた自身もそう書いているけど、「女性が女性である限り性犯罪の対象と..
    cometori
    cometori 2008/02/16
    これは端的でいい/『そういう文化に馴染まない人からみたら奇異な行動に見えて、だからこそ余計に批判の対象になる』批判者にとってはリスクの高い「文化」に生きていたこと自体が選択の誤り、本人の落ち度になると
  • 顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える: 性犯罪において、加害者の欲望はあらかじめ肯定され、被害者の人権はあらかじめ蹂躙されている

    初めて痴漢に遭ったのは初潮を迎えるより遥かに前だったと思う。といっても、わたしにそれがきたのは中三になってからで、ひとよりだいぶ遅かったのだけれども。9歳だったろうか、10歳だったろうか、とにかくそれくらいの歳だ。屋で立ち読みをしていたら下半身を触られた。触り方が露骨だったので、おぞましいことと理解した。だがそれ以前にも、そのようなことはあったかもしれない。しかも幾度も。どういうことかというと、わたしはその屋でよく立ち読みをしていたのだが、そうしているときに後ろから覆いかぶさるようにして棚からを抜く男がいた。そしてそのまま、つまり身体を密着させたまま、男もそこでそれを読む。わたしが移動するとついてきて、また身体を寄せてくる。おかしいとは思っていた。だが、性的なものという認識はなかった。しかし、そのとき、スカートのなかに手を入れられ、下着の上から下半身を触られて初めて、わたしは理解し

    cometori
    cometori 2008/02/16
    タイトルに全力で肯く。『落ち度として非難されるのは性犯罪だけだ』そう言われるまで気付かない自分の感性に腹が立つ/(追記)詐欺犯罪にもなにか似た・・・被害者側の誘発要因がことさら論われる傾向があるな
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