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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/matsuiism (1)

  • 主体的であること - heuristic ways

    溝口雄三氏は、『中国の衝撃』(2004年)というの中で、次のようなエピソードと認識を書いている。 かつて、天安門事件のさなか前後三カ月ほど台湾の清華大学にいたことを思い出す。 清華大学の教職員組合は、事件当時の台湾政府の「同胞」「反共」「民主」キャンペーンに抗し、集会を開き、大陸の民主をどう支援するかが課題ではなく、台湾の「われわれの民主」化を課題としてさらに進めることこそが結果として大陸の民主化への支援になる、という議論をしていた。私も求められて、大陸や台湾それぞれに民主の課題があるように、日にも日の民主の課題があり、民主の課題に先進・後進はない、という趣旨の発言をした。(中略) 彼らは、そこに「民主」があるか否かではなく、ここにどのような「われわれの民主」の闘いがあるか、の観点に立ったのである。竹内好氏がかつて「自分の中に問題を持たない者は、中国へ行っても何の問題も見出せない」と

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