企業に関するcompassのブックマーク (2)

  • 第42回) 未来工業取締役相談役 山田 昭男(やまだ あきお) さん 休日年140日残業せず成果 他社製品と少しだけ差別化図る : グローカル : 中部経済 : 中部発 : YOMIURI ONLINE(�

    第42回) 未来工業取締役相談役 山田 昭男(やまだ あきお) さん 休日年140日残業せず成果 他社製品と少しだけ差別化図る 未来工業取締役相談役 山田 昭男(やまだ あきお) さん 1931年、中国・上海に生まれる。48年、旧制大垣中(現・大垣北高)を卒業し、父が経営する電線メーカーに就職したものの、演劇に熱中し退社。65年、未来工業を設立、社長となる。2000年に相談役に退き、昨年、持ち株会社・未来の相談役にも。73歳。 「経営コンサルタントは、売れないものはやめろと言いますが、私は売れないものを作れと言う」 ――最近出した著書「楽して儲(もう)ける!」が話題を呼んでいます。確かに、社員に残業はさせず、年間百四十日の休日数は企業では日一でしょう。 「朝七時に会社に出かけ、夜七時に帰宅すれば、十二時間を会社に拘束されているようなもの。八時間寝ると、自由時間はわずか四時間。残業なんか

  • 不二家、諦めと停滞の果て:日経ビジネスオンライン

    ずさんな品質管理が相次いで発覚し、消費者の前から商品が姿を消した不二家。「ペコちゃん」で親しまれてきた国民的ブランドは一瞬にして失墜し、創業以来の危機に直面する。突然訪れたかに見える危機も、実は12年前のある日を境に問題が社内で静かに膨れ上がってきた結果にすぎない。 「異論はないな」 1995年1月23日――。不二家が定例の取締役会を開く月曜日だった。当時の社長は藤井俊一。創業者、藤井林右衛門の孫で5代目社長。今回の不祥事で退任した6代目社長の藤井林太郎の従兄弟に当たる。その日、東京の気温は10度を超え、春の陽気を思わせた。俊一は、いつものように出社し、いつものように取締役会をこなすつもりでいた。 俊一が異変に気づいたのは、取締役会が始まる直前のことだった。突然、別室に呼び出されたのだ。そこには4代目社長で当時会長だった藤井和郎のほかに、経営を退いていた2代目社長の藤井誠司と3代目社長の藤

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