ブックマーク / at-akada.hatenablog.com (11)

  • 初期分析美学における芸術創造論 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    ヴィンセント・トマスの"Creativity in art"および周辺の文献をちょっと調べたので備忘録的に残しておく。 Tomas, Vincent (1958). Creativity in art. Philosophical Review 67 (1):1-15. ヴィンセント・トマスのこの文献に関しては、少し前に出た村山正碩「意図を明確化するとはどういうことか: 作者の意図の現象学」が詳しい。 村山はトマスの論文を、以下の「トマスのパズル」を提示するものとしてまとめている(p.105)。 芸術制作は芸術家によってコントロールされている。 行為者が自分の行為をコントロールする典型的ケースでは、生み出したい結果を意識し、目の前の現実がその結果と一致するように作業を進める。 しかし、芸術制作では、芸術家は生み出したい結果を(現実がそれに一致すれば、作品が完成するほど)十分に意識しているわ

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  • ロペス、ナナイ、リグル『なぜ美を気にかけるのか:感性的生活からの哲学入門』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    なぜ美を気にかけるのか: 感性的生活からの哲学入門 作者:ドミニク・マカイヴァー・ロペス,ベンス・ナナイ,ニック・リグル勁草書房Amazon 遅くなってしまったが、訳者の森さんから頂いた『なぜ美を気にかけるのか:感性的生活からの哲学入門』の感想を書いておく。 【翻訳が出ました】ロペス、ナナイ、リグル『なぜ美を気にかけるのか:感性的生活からの哲学入門』 - 昆虫亀 書は、ドミニク・ロペス、ベンス・ナナイ、ニック・リグルという三人の気鋭の美学者による初学者向けの美学のだ。美容のみたいなタイトルだが、美容も含め、どうして楽器を弾いたりおしゃれをしたり花を愛でたりするのか——つまり、そもそもなぜ美的なものに関わるのか——についてのである。書の言葉で言えば、どのように生きるべきかという「ソクラテスの問い」に関連して、美が良き人生にどう貢献するのかという問題を扱っている。 個々の章には個別に

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  • Jホラーと怪談収集小説 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    『ユリイカ2022年9月号 特集=Jホラーの現在』が出たので、掲載した論考「Jホラーの何が心霊実話なのか?——実話怪談、ドキュメンタリー、心霊写真」の補遺的な話を書く。 ユリイカ2022年9月号 特集=Jホラーの現在 ―伝播する映画の恐怖― 作者:高橋洋,大島清昭,小中千昭,佐々木友輔,田辺青蛙青土社Amazon ノエル・キャロル『ホラーの哲学』の翻訳ももうすぐ出ます。 filmart.co.jp Jホラーと呪われた映像 『ユリイカ』に書いた文章では、「呪われた映像」「心霊映像」がJホラーの重要なモチーフのひとつであるという話を書いた。また、そのモチーフがフェイク・ドキュメンタリー、ファウンド・フッテージ、POVといった手法と相性が良いという点に触れた。このモチーフの一番有名な例は言うまでもなく『リング』の呪いのビデオだが、Jホラーをある程度観たことがある人なら知っているように、「心霊映像

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  • [fiction] フィクション論の古典なり基礎文献的なもの - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    フィクション論の古典なり基礎文献的なものがあれば教えてくださいという質問がask.fmに来てたので答えます。 以前からフィクションの哲学はいろんなテーマが錯綜していてややこしいと思っていたのでこの機会にちょっと整理してみる。 まず日語で読めるとして以下の二冊がある。読めばそれなりに先行研究のことはわかるが、ちょっと二冊ともそれぞれに癖が強いので、フィクションの哲学の入門書としては勧めづらい。 清塚邦彦『フィクションの哲学』 三浦俊彦『虚構世界の存在論』 また、フィクションの哲学はサブジャンルが細かく分かれ、それぞれ関連はするが、独立した問題だったりするのでまずは興味があるところに絞って読むとよいだろう。 以下ざっとサブジャンルを整理して紹介する。 フィクションの定義・特徴づけ フィクションとは何か?を扱う。 なお、清塚『フィクションの哲学』はこのテーマを扱っているので、まずはこれを読む

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  • 物語における前景/背景 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    言語学系の物語研究がそこそこあることに気づいたので少しお勉強。 以下はおもしろかった。多分美学や文学の人が読んでもおもしろいと思う。 浜田秀「物語の四層構造」 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcss/8/4/8_4_319/_article/-char/ja/ 浜田秀「物語と説明」 http://www.ogata.soft.iwate-pu.ac.jp/LCC2_Web/technica_report/bungaku-konnpyu-ta-6/(27)Hamada2000.pdf 浜田秀「ストーリーラインと感覚的リアリティーの構造について」 http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48434/1/75_283.pdf 論点は様々だが、ここでは前景/背景についてだけ説

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  • 哲学の初学者にありがちな間違い - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    哲学の初学者にありがちな間違いのひとつをこの間思いついたので記しておく。哲学の場合、初学者ほど他の哲学者が素朴に見えるという現象がある気がしている。 例えば、プロの哲学者が何らかの原理Xみたいな前提を使うとしよう。 しかし初学者にはなんでこのXを認めないといけないのかがよくわからないので、Xを認めることが素朴に見える。非合理的な信仰やドグマのようなものにすら見えるかもしれない。 もちろん筋から言えば、Xを前提する側がXを使う理由を説明した方がいいかもしれない。しかしひとつの論文のなかで、すべての前提を説明することなどできないので、ごく標準的常識的な事柄であれば、特に議論なく前提するだろう。 もちろん当にドグマであるケースもあるだろうが、ここで考えているのは、Xを擁護する議論が別のところでなされていたり、合理的な理由があっても、初学者はそういう事情を知らないので素朴に見えるというケースだ。

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  • Matthew Kieran「スノッブの悪徳: 美的知識、正当化、芸術評価の徳」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Matthew Kieran, "The vice of snobbery: Aesthetic knowledge, justification and virtue in art appreciation" Philosophical Quarterly 60 (239):243-263 (2010) http://philpapers.org/rec/KIETVO http://www.matthewkieran.com/storage/writing-work/SnobberyKieran.pdf 昆虫亀さんおすすめの一おもしろかった。 スノッブな判断は美的判断とその内的正当化を破壊する。しかもスノッブの厄介な点は適切な美的判断とスノッブなそれを区別するのがとても難しいことにある。自分がスノッブでないと知るのも難しいし、そもそもアート界隈なんてスノッブばかりだ。そこで美的評価の

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  • Lopes『視覚と感受性 - 図像を評価する』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Sight and Sensibility: Evaluating Pictures これは読まねばならない気がしたのでがんばって全部読んだ。ひどくおもしろかった。 分析美学における描写[depiction]の哲学は、主として図像がなぜ対象を表象できるのかという問いを扱うが、これは応用的な話題を扱うで、図像に対する価値評価が主題になっている。相互作用説「図像の美的評価は、図像の認知的評価や道徳的評価に対し、含意したり含意されたりする関係にある」が擁護される。図像の潜在能力を論じたでもあり、雰囲気や感情の表出、認知、道徳など、普通は見えないし描けないものを図像がどうやって表現し、それらが図像の美的評価といかにして絡み合うかを論じている。 恐しく射程の広いで、分析美学プロパーな細かい議論もたくさんあるが、美術批評や表象文化論の領域に積極的に乗り込んでいく。序文では、フレドリック・ジェイム

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  • 戸田山和久『哲学入門』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    哲学入門 (ちくま新書) 序 これがホントの哲学だ 第1章 意 味 第2章 機 能 第3章 情 報 第4章 表 象 第5章 目 的 第6章 自 由 第7章 道 徳 人生の意味――むすびにかえて 参照文献と読書案内 あとがきまたは謝辞または挑戦状 意味や情報などあるのかないのかよくわからない「存在もどき」を科学的な「モノだけ世界観」の中に位置付ける自然主義の壮大なプロジェクトを展開した哲学入門。「情報」「機能」などちょっと普通の哲学入門には無いような章立て。後半は戸田山自然主義の立場から「自由」「道徳」を論じる。野心的でおもしろい。 で、終わらせてもいいんだけど、ちょっと気になる点。いろいろ考えていたらあまりまとまらなくなってきたので、うまく違和感を表現できるかわからないが書いてみる。 戸田山氏は古典的な分析哲学がやってきたとされる「概念分析」に代え、大事なのは事象そのものを解明する理論構

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  • Abell, Bantinaki編『描写の哲学的視座』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Philosophical Perspectives on Depiction (Mind Association Occasional) 描写depictionの哲学についてのアンソロジー。とりあえずイントロダクションだけ。 1. 描写のプロジェクト 1.1 アプローチの用語法 1.2 さらなる制限ー適切さの基準standard of correctness 1.3 適切さの基準の認識的含意 1.4 適切さの基準の美的含意 2. 図像の経験 2.1 内に見ることseeing-inの質 2.2 内に見ることの射程 2.3 屈折inflectionとミメーシスのパズル 3. 図像知覚ー哲学的含意 3.1 図像知覚のメカニズム 3.2 図像知覚の内容 3.3 図像知覚の機能 結論 描写depictionの問題は、図像一般に関わる問題であり、描写の哲学を美学の下位分野にするのは、言語哲学を文学

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  • 道徳は規範的か - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    道徳的判断について、われわれはついそれを、規範的な主張であるかのように理解してしまうバイアスをかかえている。 たとえばわれわれは、道徳的判断を、人は道徳的に生きなければならないという、一種の「お説教」として考えてしまうことが多い。ここは個人的に誤解しやすいポイントなのだが、道徳的判断というのは、まずは形式的妥当性のレベルで正しいとかまちがっているものであると思う。少し自分の整理のために書いておこう。 道徳にまちがいや真理があるのかということを言う人がいるのだが、道徳的推論をあやまってる場合、基的な推論やスケールをまちがってることが多い。以下の事例を考えよう。 郵便局員 太郎の母は子どもの生活を心配し、太郎が必要とするであろうべ物などを送った。郵便局員が太郎に、母からの贈り物を届けてくれた。太郎は母からの贈り物を郵便局員自身からもらったような気分になり、郵便局員に負い目を感じる。 ここで

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