東アジア初の女帝は、大物タレントを上手に使って 日本の海外PRを成功させた敏腕プロデューサー 日本に仏教が伝わって以来、その受け入れを巡って争いが続いていました。そしてついに、天皇暗殺という大事件が起こります。この混乱収束のため、敏達天皇の皇后であった額田部皇女が即位。これが日本だけではなく東アジア初の女帝である推古天皇です。彼女は頭脳明晰な厩戸皇子(聖徳太子)と、渡来人との結び付きが強い豪族の蘇我馬子という、ふたりの大物政治家と協力体制を築きます。そしてまず仏教を公認し、百済や高句麗の僧たちから大陸文化を吸収。さらに隋が中国を統一したのを機に、交流が途絶えていた中国からも最新文化を取り入れようとします。やがて隋の都を見た遣隋使の報告により、日本の遅れを痛感し、国内の制度整備に努めます。有能な人材を登用するための冠位十二階、豪族や役人の有り方を示す十七条憲法を制定し、国家の礎をつくります。
日本美術著作権協会(JASPAR)などは13日、東京都内で会見を開き、日本の著作権法に、美術作品が転売されるごとに販売価格の一部を著作者やその相続人が要求できる「追及権」を導入するよう政府に求めていく考えを明らかにした。 追及権は芸術家保護の観点から1920年にフランスで始まり、欧州を中心に約90カ国で法制化されているが、日本や米国(カリフォルニア州を除く)、中国などでは導入されていない。 日本では通常、芸術家がいったん作品を手放すと、評価が高まり高値で転売されても恩恵を受けない。会見に出席した日本画家の中島千波さん(72)は「作家にとって切実な問題。追及権への理解を広く求めていきたい」と話した。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く