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buddhismとphotoに関するconsigliereのブックマーク (5)

  • 石に刻まれた膨大な経文 「マニ石経城」を訪ねて 青海省

    【8月17日 CNS】中国・青海省(Qinghai)玉樹チベット族自治州(Yushu Tibetan Autonomous Prefecture)新寨村(Xinzhai)には、チベット仏教の経文を石に彫り、高く積み上げた「マニ石経城」を見学しようと多くの観光客が訪れる。 マニ石経城は紀元1700年頃、チベット仏教の高僧であった嘉那活仏により創建されたもので「嘉那マニ石経城」と呼ばれる。 史的文献によると、嘉那活仏はカム(Kham)地方の出身で峨眉山(Emeishan)と五台山(Wutaishan)で修業をし、チベットの聖地を巡り礼拝したとされる。 嘉那活仏は200年前に新寨村にたどりつき、チベット仏教の神聖な「六字真経」が自然に現れるマニ石を発見し、同村に住みついた。僧侶や民衆と共に、マニ石を彫って一生を過ごしたと伝えられている。 現在、石経城に積み上げられたマニ石は東西283メートル、南

    石に刻まれた膨大な経文 「マニ石経城」を訪ねて 青海省
  • ご本尊喜びの“開眼” 盗難仏像戻った薬師堂 添田町 町文化財係「両まぶたの木目では」 | 西日本新聞me

    昨年8月、盗難された仏像3体が見つかり、無事に安置された添田町中元寺地区の「薬師堂」。ここで今度は「ご尊の薬師様の目が開いた」と話題になっている。来は閉じている目の部分に黒い瞳…。関係者は「仏像3体の帰還を喜ばれている」などと手を合わせている。 開眼?したのは県指定有形文化財「中元寺薬師如来坐像」(高さ約73センチ)。平安時代に天台宗の高僧恵心僧都(えしんそうず)がこの地を訪れ、病気平癒を願って安置したと伝わる。以来、地元の守り仏として受け継がれ、毎年11月には薬師大祭が催される。 薬師堂を管理する上中元寺観光協会長の山文一さん(67)によると、仏像3体が戻った昨年8月以降、田川地区内外からお参りする人が2~3割増え、同10月ごろから、地域住民の「薬師様の目が開いていた」「今日は閉じていた」との声が寄せられ始めた。 目の正体について、町まちづくり課文化財係は「この坐像は両まぶたに木目

    ご本尊喜びの“開眼” 盗難仏像戻った薬師堂 添田町 町文化財係「両まぶたの木目では」 | 西日本新聞me
  • 重慶市 大足石刻の保護条例が採択 - 中国国際放送局

  • 仏像写真家 7000枚の記憶 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    ◇永野さんのガラス乾板寄贈 ◇帝塚山大 デジタル化へ 奈良を拠点に活動した仏像写真家の永野太造さん(1922~90年)が撮影したガラス乾板約7000枚が、帝塚山学園(奈良市)に寄贈された。あまりにも膨大で、内容を全て確認するには相当な時間がかかるといい、今後、帝塚山大の奈良学総合文化研究所と付属博物館で調査、研究を進める。永野さんには写真集などの著作がほとんどないため、活動の全容は謎に包まれており、同大学の服部敦子講師は「見る機会の少ない貴重な文化財の写真もあるのでは。知られざる写真家の全容に迫りたい」と話している。(南恭士) 永野さんは、著名な写真家の入江泰吉や渡辺義雄らとともに、仏教美術を研究する上で基となる書籍「奈良六大寺大観」(岩波書店)や「大和古寺大観」(同)に多くの作品が掲載されている。ただ、個人の写真集などが極めて少なく、その活動については、ほとんど知られていなかった。 同

    仏像写真家 7000枚の記憶 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
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    AIR: Asian Iconographic Resources

    consigliere
    consigliere 2012/11/08
    森雅秀氏「アジア図像集成」
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