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スティーム・パンクというのは、本来はSFの用語だ。 SFの源流は(定義にもよるが)19世紀に遡る。ジュール・ヴェルヌはフランスで1864年に「地底世界」、1865年「月世界旅行」、1870年「海底二万マイル」、1871年「洋上都市」など「空想科学小説」を次々に発表、機械技術がもたらす新たな社会の姿が空想逞しく描かれ始めた。 それから100年あまり、1980年前後に「サイバーパンク」をもじったジャンル名称として提唱されたのがスティームパンクである。 これは要するに、初期SFの作風に影響を受けて現代の作家が描いた「レトロフューチャー」だ。 ヴェルヌが描いたのは当時の知見に基づく「来たるべき未来の姿」である。対して、スティームパンクが描いているのは「来なかった未来」だ。蒸気機関が内燃機関にとって代わられ、電気技術が電子技術へと発展した現代社会ではなく、たとえば蒸気機関が主力のまま成長を遂げた社会
神経科学系のポスドクが、脳研究に関する論文・神経科学の大衆化・ポスドク問題・ワインetc.についてマニアックに綴るblog 【脳研究- issues&ニセ科学問題】 脳ブームに「待った」 学会「根拠示す配慮を」 - 朝日 2010年3月21日の朝日新聞の「代替医療のトリック」の書評に若干の違和感を覚えた - 三余亭 「脳ブーム」絡みの論争はだいぶ見てきたわけですが、最近特に注目を集めているのが藤田一郎先生の『脳ブームの迷信』を発端とするディベート。この本が有名になった理由は言うまでもなく、「脳トレ」批判を明確な形で展開しているところだと思います(もっとも「脳トレ」批判は坂井克之先生の『脳科学の真実』でもなされていましたが)。 ということで、この記事でも藤田先生・坂井先生から寄せられたコメントを掲載して、「脳ブーム」の問題点を指摘しているようです。以下引用。 藤田教授は、脳トレが専門用語を交
脳ブームに「待った」 学会「根拠示す配慮を」2010年4月20日脳科学をめぐる本 数年来の「脳ブーム」に対し、「脳科学はそう簡単じゃない」と訴える研究者が相次いでいる。「すぐ役立つ」ばかりを期待する世間に、「応用を安易に語りたがらない科学」が理解を求めている。 大阪大学の藤田一郎教授は、視覚と脳の関係を探る基礎研究者。昨年出した『脳ブームの迷信』(飛鳥新社)で、脳にまつわる様々な風説の横行を嘆き、一例として「脳トレ」を検証した。 2005年の発売から、09年9月末までに世界で正続2作が3218万本売れたこのゲームソフトは、正式名称が「東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修 脳を鍛える大人のDSトレーニング」。「音読や簡単な計算で脳の血流が増す」という川島教授の理論に基づいて任天堂が開発した。 ■期待抱かせている 藤田教授は、脳トレが専門用語を交えた説明と「脳が活性化した」など
内田麻理香ブログ「カソウケンの科学どき技術どき」Powered by Amebaサイエンスを「書く」こと、「伝える」こと。他にも、食・美容・お仕事・研究のこと……節操のない自問自答日記。挫折組は 3年前のmixiに書いた言葉を掘り起こしてみます。今見ても、彼女の発言はまったく古さを感じないし、色あせていない。雪朱里 さんにお会いした時、彼女から出た言葉。 「ある分野の挫折組は、その分野の伝え手として適切かもしれない」 挫折組というと言葉が悪いかな。「ある分野に憧れた経験のある人」と言い換えても良い。そんな人が物事を伝えようとする場合、その分野に理解があるし、そしてなにより憧れと愛がある。それは伝え手として良い条件ではなかろうかということ。 雪さんが携わっているデザインノート という雑誌は、編集長をはじめとして、みんなデザイン分野に憧れた経験がある人が多いんですって。
http://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/2009/05/f8-28.html 経営の苦境が伝えられていた主婦の友社がDNPに救われた格好? それにしても、丸善・ジュンク堂・TRCに続き、主婦の友社ということで最近の出版業界ニュースを賑わすDNPですが、狙いは何なのでしょうか? 先日のワールドビジネスサテライトでは、DNPの森野常務はインタビューにこう答えていました。 http://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/2009/04/o1-104.html 「もう一回発想を切り替えて、この業界でわれわれがどんな役割を果たせるのか、試みてみようと思ったわけです」 「日本の強い競争力である知の源泉であるこの業界が、今のこの低迷した成熟化社会の中でものづくりだけじゃなくて、日本の知そのものが世界に発信する情報発信大国になるんじゃないか」 これだと何だか抽象的過ぎてよく
プラセボ効果またはプラシーボ効果とは、有効成分を含まない薬(偽薬・プラセボ)を摂ったことによって生じたと考えられる効果のことです*1。比較的狭い定義をするとすれば比較対照実験において統制群プラセボ群に認められた効果といったところでしょうか。 典型的誤用例1:効果がないのに効果があると思い込む 自動車の燃費改善グッズとか、パワー向上グッズの話題でよく出ます。「○○でパワーが上がるなんてありえん。プラセボ効果だろ!」みたいな感じで使われます *2。思い込みとでも呼ぶのが適切でしょう。 プラセボ効果は効果がないものを効果があると思い込むことではありません。効果はあります。効果がないはずのものを使ったのに効果があるという話です。 典型的誤用例2:自己暗示効果の言い換え プラセボ効果が「これを飲めば症状が良くなる」と、効果を信じる自己暗示によって起こる症状改善であるということはよく言われる話ですが、
「機動戦士ガンダム」の監督として知られる富野由悠季さんが10月27日、「東京コンテンツマーケット2008」(独立行政法人・中小企業基盤整備機構関東支部主催)のトークセッションに登場し、「プロフェッショナル・クリエイターの条件」というタイトルで自らの“プロ論”を披露した。 「自分流の言葉づかいしかできなくて本当に申しわけない」と言いながら、集まったクリエイターに刺激的な言葉を投げかける富野さん。セッションは、コンテンツ関連のコンサルティングを手がけるQPRの清田智社長との対談形式だったが、事実上富野さんの独演会だった。 「コンテンツ」という言葉はおかしい セッションのタイトルは「プロフェッショナル・クリエイターの条件」ですが、これは無理やりつけたタイトル。ここにいる人(コンテンツマーケットの出展者など)はプロクリエイターの条件を満たしてますから。ぼくみたいなロボットアニメの専門家がぐだぐだ言
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン いきなりの株高です。「乱高下」の「高」というべきかもしれません。米国発の金融不安は瞬く間に各国に波及し、日本でも大和生命保険破綻など、実体経済に影響が出始めています。ブッシュ政権最末期の米国は北朝鮮に対するテロ支援国家指定を解除、パワーバランスにも明確な変化が出始めました。 そんな中で発表されるノーベル各賞には、「明るいニュース」という観点とは別に、リアルな現実を直接反映する側面が存在しています。たとえばプリンストン大学のポール・クルーグマン教授への経済学賞。露骨といえばこれほど露骨な授賞はありません。 国際貿易という専門での業績とは別に、クルーグマン博士は金融危機を招いたブッシュ政権への歯に衣着せぬ発言で知られ、「恐慌の罠」「嘘つき大統領の
ながれをぶった切って久しぶりに「ぷよぷよ」の話をする。このゲーム、同じ色のぷよを4つつなげて消すという単純なルールでありながら、クレタ島の地下迷宮のように無限の奥行きがあり、数学的にも甘みがある。 偶然できた4連鎖に驚いたり、普通にみんなで互角にわいわい楽しんだ時期もあった気がするが、しんみりしてしまうのでそれはおこう。今となっては時々思い出したようにオンライン対戦をやる程度で、研究室で話題に出すこともない。もとより実力差とゲーム性の衝突を補正するのが難しい癖のある遊戯だ。一部の人のみにカミングアウトした隠れ趣味となってそれなりの月日が流れた。 人間に溶け込んだ鬼のはなし そんなある日、知り合いが鬼のように強いという噂を聞いた。 最初は「へえ」と、マンションの勧誘に対応するかのようなリアクションになった。これ以上カミングアウト枠を拡大するつもりもなかったし、強いといってもせいぜいで12〜1
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 「世界同時株安」を背景に、日米の選挙と金融・財政政策を情報の観点から見る、というのが、ここ数週間のこのコラムの通しテーマなわけですが、そこに「ノーベル賞」が飛び込んできました。物理学賞の南部陽一郎先生、小林誠・益川敏英の両教授、そして1日遅れて化学賞の下村脩教授と、日本の報道は「日本人」が4人受賞と大はしゃぎですが、ノーベル財団の公式ホームページでは、米国籍の南部先生は米国人としています。同じく化学賞も、ノーベル財団のホームページで下村さんは「日本国籍」となっていますが、所属と学術業績についてはUSAとなっています。 「暗い話題の中に明るいニュース」「日本人の快挙!」などと見出しが躍りますが、「日本人」として本当に喜ぶべきポイントは、実は報道
おそらく人文学系の方で、きちんと研究されているものだと思うのですが、私は人文系の話は疎いため、自分の経験から感じたことを元に書いていきます。id:dlitさん辺りがもっと適切な話*1を出してくれるのではないかと期待してエントリを上げます。 書いていないことを勝手に読み取るな 議論ではよく「書いていないことを勝手に読み取るな」といったことが言われます。 そもそも「異なる前提」を持った人同士が話をするのですから、「勝手に読み取った」行間は、不正確な場合が多いわけです。なぜなら、行間を読むためにはなんらかの補足情報が必要であり、その補足情報が「異なる前提」だったりするからです。 不正確な読み取りが頻発すれば、「そこはそういう意味じゃない」「いや、そう読める」という、不毛なやり取りが延々と続くことになるわけです。 文脈を読め また、「文脈をきちんとよめ」といわれる場合もあります*2。 自然言語とい
批判的思考のポイントは「態度」「知識」「技術」の3点でしたね。批判的思考を行うという態度をもっと重要視して欲しいというのが前回のエントリ*1でしたが、今回は知識に焦点を当ててみましょう。 批判的思考における「創造性」の重要さ 日本の批判的思考研究者として有名な人として道田泰司教授が居ます。以前のエントリで道田教授の定義を取り上げました。 道田「批判的な態度によって解発され、創造的思考や領域固有の知識によってサポートされる論理的・合理的な思考」 批判的思考(クリティカル・シンキング)とは何か - Skepticism is beautiful 道田教授の定義には「創造的思考」というものがでてきます。道田教授は批判的思考がどんなものか?ということについて「見かけに惑わされず、多面的にとらえて、本質を見抜くこと」という表現もしています。こちらの表現ではより創造的な思考に重点が置かれているという解
またの名を「PSI九段下ニセ科学研究所」とか「PSI九段下総研」とか 『ポピュラーサイエンス日本版』から『家電批評』『MONOQLO』と渡り歩く「ニセ科学研究所」のBLOG 先日、カアチャンがこんな話を教えてくれた。 「カマキリは、雪に埋もれない高さに卵を産みつける」という俗説の真偽を検証した人がいる。無数のカマキリの卵の、産みつけられた場所を調べる膨大な研究。 さらに理由として言われる「雪に埋もれると卵が死ぬから」ということの真偽も調べた。結局、卵は水に浸けてもふ化率は変わらない。それを調べるために、卵を採取して水に浸けることまでやってて、感心した。 ものすごい手間がかかってると思う。大学の先生が、学生さんを動員でもしたのかなあ。とかなんとか。ことの真偽がどうだったのかよりも、それは素晴らしい研究だと思ってググった。が、そしたらなんだか変なことに。 ■「カマキリは積雪量を予知している」?
ペットボトルのリサイクルは駄目という説に対する反論が目立たない理由 2008年4月 4日 環境 コメント: トラックバック (0) (これまでの藤倉良の「冷静に考える環境問題」はこちら) ■リサイクルを否定する理由と反論 ペットボトルのリサイクルは環境に悪いから行ってはいけないという本『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』がベストセラーになった。著者の中部大学教授武田邦彦さんはテレビにも頻繁に出演して話題になった。 これに対して、反論本[注1]の出版やWebでの批判(安井至さん:市民のための環境学ガイド)が現れ、討論会がテレビや雑誌でおこなわれた。これらを眺めていて、リサイクル肯定派の意見が通ったので議論は決着したように思っていた。しかし、世の中ではそうは受け止められていないようだ。3月に傍聴に行った環境科学者の会合では、ボヤキが聞こえてきた。なぜ、そういうことになったのか。 温暖化懐疑論
なんでも、『鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』を観に来た若いファンの一部は、併映のデジモン映画をわざわざパスして、ロビーでなごみながら、もう一度ハガレンを観るために時間つぶしをしていたのだそうです。全員が全員、そうした行動をとっているとは思いませんが、セグメンテーションもここまで来たのか、と暗澹たる思いにとらわれるエピソードではあります。 今回のアニメ特集の「目的」は、要するにアート系アニメであれキャラクターアニメ(とでも言うのでしょうか。つまり非アート系アニメ、商業的アニメのことです)であれ、面白いアニメはいっしょくたに観ようよ、ということにつきます。「アニメはアニメである」というタイトルも、そうした願いをこめてのネーミングで、極力、2本立ての構成は、アート+非アートの組み合わせとしました。僕自身は、普段はあまりアート系アニメなど観る方ではなくて、だからといって商業アニメの熱心なファン
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