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マンガとgameに関するcrow_henmiのブックマーク (6)

  • へぼるーそん まどかマギカが語り尽くされても誰も書きそうにないので、アメコミ版沙耶の唄の長文レビューを訳してみた。

    世間は『魔法少女まどか☆マギカ』の考察ブームで、その勢いは脚を担当した虚淵玄氏の他の作品にも及ぶ勢いです。 …が、1年以上も前に当ブログでも紹介した氏の代表作とも呼べる作品『沙耶の唄』のアメコミ版(Song of Saya)については、インパクトのあるイラストは注目されたものの、振り返られないどころか、無事?完結したにも関わらず、レビューすら少ない状況のようです。 そこで今回は、海外掲示板に掲載された作のレビューをご紹介。ビジュアルノベル版との比較はもちろん、メディアミックス版とはどうあるべきかなども説いた力作となります。 内容に某魔法少女は含まれてはいませんが、気になっている方も居るとは思いますし、こんな機会でもないと忘れられたままとなりそうなので…少々長いですが、お付き合い頂ければ幸いです。 ※以下、原作とアメコミ版のネタバレとなります。なお、アメコミ版未読の方向けに注釈を加えて

  • 真夜中のアイマス×ガンスリ談義

    原作者相田裕さんの呟きから発せられたアイマスとガンスリンガーガールズの夢のコラボ。とりあえずまとめてみた感じなので色とかついてないです。深夜独特のテンションですが無害です。

    真夜中のアイマス×ガンスリ談義
  • sakstylr - アイマスガンスリ

    http://iddy.jp/profile/sakstyle/ http://twitter.com/sakstyle/ 今更ながらに、アイマスにはまってニコ動で色々見ている。 で、ある二次創作動画を見ているときに、ふとガンスリをアイマス化することを思いついたのでメモっておく。ブログに書くような内容でもないので、こちらに。 ありがちなネタっぽいが、ググってみてもあんまりヒットしない。架空戦記とかにもないっぽい。一件見つけたものとしては、こちら ガンスリで描かれている義体と担当者の関係(兄妹-フラテッロ)って、なんとなくアイドルとプロデューサーの関係に置き換えることできるよなあとか思いました。 アイドルマスターオルタナティブ案で無邪気でスナイプが得意なやよい(リコ)や、担当者との距離感がつかめない千早もしくは伊織(トリエラ)、減衰が始まってしまってどんどん記憶を失っていく春香(アンジェ

  • 東浩紀×伊藤剛対談『テヅカ・イズ・デッドからゲーム的リアリズムの誕生へ』ダイジェスト版

    はじめに さる2007年6月5日に行われた東浩紀と伊藤剛の対談「『テヅカ・イズ・デッド』から『ゲーム的リアリズムの誕生へ』」のダイジェスト版と私的な感想をまとめた。すべてを網羅するのではなく、個人的に印象に残った部分のみを断片的に抜き出すようなかたちになっている。これはエントリの目的が対談のレポートにあるのではなく、個人的な感想を述べることがメインになっているからである。 抜き出した部分にはこちらで勝手にタイトルをつけて、大まかな性格を与えた。まずは“1.『ゲーム的リアリズムの誕生』について”。ここでは、東浩紀自身が自著についての説明を行った箇所のみを引用している。来は、対談の中での伊藤剛とのやり取りの一部分にすぎなかったものだ。しかし、『ゲーム的リアリズムの誕生』の読者にとってはある程度参考的な内容となるのではないかと思う。 “2.キャラクター文化にとっての美とは?”とその次の“3.

    東浩紀×伊藤剛対談『テヅカ・イズ・デッドからゲーム的リアリズムの誕生へ』ダイジェスト版
  • 四分六三昧 - 90年代的「ゲームキャラクター」幻想論

    これは前回エントリーhttp://d.hatena.ne.jp/y2k000/20060603#p1の続きというか、補足になります。 どうして80年代からいきなり現在に話が飛んだか、というか、間の90年代ってどういう時代だったのか? ということをある程度、書いておかないとやっぱりフェアじゃないよなあと思ったので、書きます。 タイトルは前回の続きっぽいですが、内容は主人公像の話からはかなり離れると思います。 199×年、日文化的経済的に、もはや危急の縁へと立たされていた。 狂気の時代、豊穣の季節と謳われたバブル経済が見事にはじけとび、フィリピン女を囲っていたシャッチョさんは首をくくり、会社員はそれまでとは比べ物にならないほど安い給料で馬車馬のように働かされ、それまで見向きもされなかった公務員募集に大勢が殺到し、それでも働き口のない学生は就職するにも困って、「旧世界を脱構築せよ!」とヒッピ

    四分六三昧 - 90年代的「ゲームキャラクター」幻想論
  • SHIGURUIA - 髑髏の残念

    シグルイ5巻の「儂の目は節穴ではない」「うぬらも検校の 飼い犬ならん!」を見て、突如「虎眼先生はパラノイアの コンピュータ様に似てる」と思ったので、いつかやってみたいと 言う思いと共にパラノイアをシグルイに置き換えてみる事に。 参考:馬場秀和ライブラリ 舞台 舞台は1627年頃の掛川、そして掛川に一大勢力を築く虎眼流。 虎眼流は完全です。掛川は虎眼流によって完璧な平和を保って おり、門下生は皆最強で、虎眼流に忠実です。 少なくとも岩虎眼と高弟はそう信じています。 しかし、困った事に虎眼は狂っています。 実際は掛川は日常的に虎眼流が人を殺す無法地帯に他なりません。 虎眼は、掛川の外には他流派の刺客がうようよしていると信じています。 彼らは虎眼流の名を貶めようとしているのです。 そのため、虎眼は高弟を送り込み「無双許し虎参り」によって外部の 流派を取り込みました。 門弟指導の礼金を払わされる

    SHIGURUIA - 髑髏の残念
    crow_henmi
    crow_henmi 2006/01/25
    傀儡であることは内弟子の義務です。
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