タグ

批評論に関するcrow_henmiのブックマーク (52)

  • The Red Diptych

    ようこそゲストさん ブログトップ 記事一覧 ログイン無料ブログ開設 The Red Diptych

  • 世界内戦のアスペクト――世界システム史的観点と実存的観点 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    Twitterからの転載・改稿。 世界内戦において、ぼくが世界システム史的観点より、クラスタ性・親密圏にまで及ぶ他者性に注目するのは、そこで生きる個人の心理的なありかたというものを重視するからであるという話をしておきたい。 戦う相手が明確にヴィジョンとして見え*1、それに対して素朴コミュニタリアニズム的に共闘できるなら、それは単に友=敵関係の世界的延伸に過ぎない。グローバルなレベルでの非対称戦など、911以前から展開されていた。911がなにか具体的なものをもたらしたとしたら、グローバルな非対称戦が衆目のもとに立ち現れたことであり、その当事者としてのわれわれと、敵としての「他者」=ジハディストが立ち現れたこと、そしてそれにより例外国家の例外状態性が前景化しつつなお是認されたことであるが、それは事実上「過去のこと」として後景化した。結局「911的想像力」――国家の内外における危機のもとに結集し

    世界内戦のアスペクト――世界システム史的観点と実存的観点 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
  • 『最果てのイマ』論(補遺)―作家の亡霊の行方、あるいは対話の効用について - tukinoha’s blog

    一連の『イマ』論は再編集のうえでthen-d氏企画のシナリオライタ論集に寄稿することになりそうなのですが、正直に言うと、その企画を半年ほど前に聞いたときは「いま作家論をやる意義があるのか?」と思いました。ロラン・バルトが「作者の死」を宣言してから半世紀近くたった現在、「作家」は亡霊のようなものではないだろうか、と。 そんなわけで静観を決め込んでいたのですが、この半年の間で多少考えが変わったのと、奇妙な縁から声がかかったので、こうして田中ロミオ論を書いてみた次第です。こう言うといかにも機会主義的な感じがしますが、自分のなかでそれを正当化できなければ、さすがに2万字の作家論は書かなかった、と思います。 作品の思想は、作者が考えているものとはちがっているというだけでなく、むしろそのような思想をもった「作者」をたえずつくり出すのである。たとえば、漱石という作家はいくども読みかえられてきている。かり

    『最果てのイマ』論(補遺)―作家の亡霊の行方、あるいは対話の効用について - tukinoha’s blog
  • まとめよう、あつまろう - Togetter

    コミュニケーションが生まれるツイートまとめツール

    まとめよう、あつまろう - Togetter
  • 不定期で消失日記

    ようこそゲストさん ブログトップ 記事一覧 ログイン無料ブログ開設 不定期で消失日記

  • 一般想像力批判 - on the ground

    自分が小難しい類のを読むようになってからの短い年月の中でも、最近とみに「想像力」なる言葉を使いたがる論者が増えた気がする。その意味するところには差異があっても、誰もが想像力の「減退」や「枯渇」(あるいは「古さ」)を憂い、想像力の「回復」や「喚起」(あるいは「刷新」)を掲げる点では変わらない。 それぞれの議論の質はピンからキリまで様々なので、同じ言葉がやたら使われているからそれが問題だと言うつもりはないが、それにしても「想像力」などというフワッとした響きがマジックワードのように溢れ返っている状況には参る。 そもそも人間固有の想像力はそんなに変わらない。昔の人が滅法凄かったわけでも、今の私たちがとんでもなく進歩しているわけでもない。質量諸々、誰だってほぼ同じだろう。人間の想像力を大きなところで左右するのは、自然だったり技術だったり政治だったり経済だったり、要するに環境や状況だ。 現代人は「わ

    一般想像力批判 - on the ground
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    トルコ水紀行 -前編 イスタンブール- みなさんこんばんは、地図子です!8月は久しぶりに毎月更新にしようと思います。今までずっと名古屋について書いてきましたが、ワープして・・・ トルコについて書きたいと思います。 2024年6月に念願のトルコに行ってきました。いつからトルコに行きたかったかわから…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • 間テクスト性 - Wikipedia

    この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2016年11月) 間テクスト性(かんテクストせい)は、テクストの意味を他のテクストとの関連によって見つけ出すことである。テクスト間相互関連性と訳されたり、英語からインターテクスチュアリティーと呼ばれたりすることもある。 ある著者が先行テクストから借用したり変形したりすることや、ある読者がテクストを読み取る際に別のテクストを参照したりすることをいう。但し「間テクスト性」という用語自体、ポスト構造主義者ジュリア・クリステヴァが1966年に作り出して以来、何度も借用され、変形されてきた。 批評家ウィリアム・アーウィンが言うように、この用語は使用者によって十人十色の意味を持って今日に至っており、クリステヴァの来の見

  • 批評のゼロ年代と「幻影城」の七〇年代 - ENDING ENDLESS 雑記帖

    asahi.Com http://www.asahi.com/obituaries/update/0527/TKY200905270111.html 訃報を知り、驚いている。 第9回格ミステリ大賞の受賞者記者会見で、私は話した。江戸川乱歩のような過去の作品は子どもの頃から読んでいたが、同時代に生み出されたミステリを読んだのは栗薫『ぼくらの時代』が初めてだった、と。同じく、同時代の文芸評論で読んだ最初の一冊は、中島梓『文学の輪郭』だった、と。今思えば、文芸・音楽評論家と称する円堂都司昭のジャンル横断体質は、初期の中島梓/栗薫から受けた影響が大きい。 しかし、結局、人にお会いすることのないままだった。 ご冥福をお祈りします。 『「謎」の解像度』のコンセプトからはズレていたため収録しなかったが、自分は過去に約60枚の中島梓/栗薫論を書いたことがある。 http://noririn414

    批評のゼロ年代と「幻影城」の七〇年代 - ENDING ENDLESS 雑記帖
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    キーボードを、持ち歩く。 久しぶりに、スマホ用のキーボードを使ってブログを書いている。 いくつかキーが壊れてしまっているので買い替えないといけないのだが、壊れるくらいには使い込んでいたんだなと思った。 当時は、今のようにPCを普段から持ち歩くことが少なかったので、出先でもブログ…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    キーボードを、持ち歩く。 久しぶりに、スマホ用のキーボードを使ってブログを書いている。 いくつかキーが壊れてしまっているので買い替えないといけないのだが、壊れるくらいには使い込んでいたんだなと思った。 当時は、今のようにPCを普段から持ち歩くことが少なかったので、出先でもブログ…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • 文芸空間 X様への手紙――なぜ「ゼロ年代の新文学」なのか

    このたび、「ゼロ年代の新文学」というテーマでご寄稿をお願いいたしました 返信をお寄せいただきありがとうございます しかし、X様におかれましては、私のテーマ設定に疑問を抱かれたとのことですね 「新文学」とは何か? そもそもなぜ「新文学」なのか? 「新文学」などないのではないか? X様のお考えのこと、おっしゃるとおりと思います そもそも、なぜ『新文学』は『新文学』というタイトルなのかという説明も、いたしておりませんでした 私が「ゼロ年代の新文学」というテーマで何をやりたいのかということについて、少々お話させていただきます 第一に、私とX様では目に映っている世界が異なるかもしれないということが気になりました 私は「文学」の名を独占しているものの存在へのアンチテーゼとして「新文学」という言葉を採用しています 文壇でも、アカデミズムの世界でも、大文字の「文学」を擁護する世代が幅をきかせています 高齢

  • ジブリは山羊に愛がない。 - Something Orange

    とっぴんぱらりのぷぅ 作者: 田中芳樹出版社/メーカー: 光文社発売日: 2009/01/21メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 1人 クリック: 24回この商品を含むブログ (16件) を見る 田中芳樹が対談形式で贈るブックガイド。さすがの博識が活かされ、なかなか読み応えがあるに仕上がっている。巻末に掲載されているブックデータは圧巻。 今回取り上げるのは久美沙織との対談である。「男性作家が書く女性人物についてどう思うか」という問いに対して、久美はこう答えている。 久美 いやあのですね、憧れがあるのと、当に愛があるのと、関心があるのと、微妙に違うと思うんですよ。 ジブリの話ばっかりして申し訳ないんですけど、あんっっっだけ! 戦闘機とかに愛があるのに、山羊に上の歯を描いたりするわけです。山羊って上の歯ないのに。 田中 ああ、なるほど(笑)。作り手の人たちも、そこまでは観察してないわ

    ジブリは山羊に愛がない。 - Something Orange
    crow_henmi
    crow_henmi 2009/04/03
    そういう偏りのある批評にはすでに「八百屋批評」という命名があって。八百屋に行って肉がないという類の話。
  • 佐藤亜紀 日記: 2009.3.29

    ごく一握りの誠実で有能な方を除いて——と言うことにしておこう、皆無と言う訳じゃない——現在日で文芸評論家として活動している人間は、概ね二種類に分けられる。チキンと、無能者だ。まあ文芸評論などというのは小説以上にえないから、出版社のお覚えを損なわないよう、業界の爪弾きにならないようチキン化するのは理解できないこともない。しかし無能者と言うのは! 読解し論じるスキルなぞ努力次第で使える水準まで上げることも出来ように、それを怠っているというのは、これはもう犯罪である。 だから文芸評論は使えないと作家に言われるのだ。チキンや無能者の評論を反省の種にする馬鹿はいない。評論と実作の間の良きフィードバックなぞ、勿論望むべくもない。 では仲俣暁生氏はどちらであろうか。ブログに載せていた2009年のベストを見る限り、チキンであることはほぼ間違いない。立派な御用評論家ぶりだ。ではスキルの方はどうか。 20

    佐藤亜紀 日記: 2009.3.29
  • 科学批評にはなにが必要か?: 2009-03-25 - 赤の女王とお茶を

    5号館さんからTBをいただいた科学批評家の話題について少々。 もっともっとたくさんの科学批評家が必要だ 『批評とはなにか』ってことを考えていたら、なんだかちょうどいくつかの記事が目に留まったのでとりあえず紹介します。、 finalventさんが小林秀雄の批評論を紹介した 批評トハ 某イースト氏が自らの批評?について語った 批評について どちらも批評を「作品」として捉えていて、むろん表現には全て作品としての側面が(科学論文ですら!)あるわけですから、それ自体は結構なことだと思います。 ただイースト氏においては対象や正確さはどうでもいい、というところまでイってしまっているようで、まあエンタメ分野においてはありなのかもしれませんが、科学や社会をあつかう際にこれではもはや批評と呼ぶに値しないでしょう。 わたしなりに批評というものを定義するなら、「対象を文脈の中に位置づけること」だと考えます。 世の

    科学批評にはなにが必要か?: 2009-03-25 - 赤の女王とお茶を
  • 批評について - hazumaのブログ

    ぼくはなにが専門というわけではないけれど、批評とはなにかについてだけは、ここ15年ほどえらく真剣に考えてきたという自負があります。 そんなぼくにとって、批評という行為については、もはやなにを論じているか、その対象やメッセージはどうでもよくなってしまう傾向があります。言いかえれば、ぼくは批評をメタ作品というよりも、ベタにひとつの作品として読んでしまうところがある。したがって、その社会的な影響力や「正確さ」なんてものは、究極的にはどうでもいい。むろん、多くのひとが批評を逆にそういう点でだけ読んでいるのは知っていますし、その受容は尊重しますが。 それは、シネフィルにとっての映画、アニオタにとってのアニメと同じだと考えればいいかもしれません。いかにひどい物語を語っていても、いい映画、いいアニメはありうる。ぼくはそれと同じように批評を読みます。ぼくにとって批評の魅力は、たとえば、文章の構成、問題設定

    批評について - hazumaのブログ
  • 英語版Wikipediaの Critique の項目が面白い - G&G, Inc. blog

    ようこそゲストさん ブログトップ 記事一覧 ログイン無料ブログ開設 God & Golem, Inc.

  • ゲーム批評はいかにあるべきか - らいたーずのーと

    ■ 既存のマンガ批評に対する苛立ちから「マンガ表現論」を立ち上げた伊藤剛、そして、その方法論をアニメ批評に対しても応用し「アニメ表現論」を立ち上げた黒瀬陽平、あるいは同様に新しいマンガ論を試みる泉信行。近年、従来のサブカルチャー批評において中心であった「物語論」から脱却し、各種サブカルチャーの「表現論」を志向する論文が多数提出されている。だが、そのような形で「批評」から取り残されてきたのはマンガやアニメだけではない。特に90年代以降の若者文化の中ではマンガやアニメ同様にサブカルチャーの代表的メディアであると認知されながらも、「物語論」すらまともに行われてこなかった文化――それが、「ゲーム」である*1。 ■ そのような問題意識は、若手批評家の立場から少しずつではあるが提示されてきている。『筑波批評』2008年秋号(ゼロアカ道場破り号)に掲載された高橋志行氏による「文芸批評家のためのLudol

  • 綿野恵太@edoyaneko800

    綿野恵太@edoyaneko800

  • 批評の書き方 実践編 - hazumaのブログ

    とかいうタイトルの講義を朝日カルチャーセンターでやってきました。東浩紀がどういう風に批評を書いているのか、を、(1)批評全体の考え方、(2)批評を書き出すときの心構えそのほか、(3)具体的な文章の書き方、の3段階にわたって情報開示した感じの講義です。Google Docsでバージョンごとに分解して解説したりしました。ああいう内容というのは、まあ一種の自慰行為でもあって(クリエイターがトークショーで「おれはこういうふうに作品作ってるから」と言っているときの快感がはじめてわかりましたw)、とても公でにするようなものでもないと思いますけれど、いつか機会があったら自費出版ででも出版するかもしれません。 ところで、そこで言ったことですけど、ぼくは基的に、あるタイプの文芸評論はだれにでも簡単に書ける、と思っています。だからこそ、そんな講義も引き受けたわけです。 その理由は、柄谷行人以降に書かれてい

    批評の書き方 実践編 - hazumaのブログ