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ブックマーク / tamanoir.air-nifty.com (6)

  • 2009.5.3 - 日記

    ところで早川のStrange Fictionについて、編集側がうっかり信用してはならない人を信用してしまったが故の過誤とは切り離して(その件に関しては既に早川から謝罪を受けている)、客観的な感想を述べておこう。 こうした雑誌の必要性は疑いないところだ。純文学が果たして機能しているかどうかは兎も角として、その枠に収まりきれない——当然内部では評価されない作家が、現実に、存在している。事は所謂SFの側でも同様だ。かつて、SFは先鋭な文学への扉であった(いいや、そんなことはない——と、そうした傾向を代表していたある作家がいうのを聞いたことがある。あれは内部の執拗な嫌がらせに負けず個人的に頑張っていただけであって、日SFが先端の文学に向けて積極的に開かれていたことなんか一度もない、と——とすればその方の偉業に対しては感謝と尊敬あるのみだ)。それだけがSFの魅惑であって、ガジェットにもテクノロジー

    2009.5.3 - 日記
  • 佐藤亜紀 日記: 2009.3.29

    ごく一握りの誠実で有能な方を除いて——と言うことにしておこう、皆無と言う訳じゃない——現在日で文芸評論家として活動している人間は、概ね二種類に分けられる。チキンと、無能者だ。まあ文芸評論などというのは小説以上にえないから、出版社のお覚えを損なわないよう、業界の爪弾きにならないようチキン化するのは理解できないこともない。しかし無能者と言うのは! 読解し論じるスキルなぞ努力次第で使える水準まで上げることも出来ように、それを怠っているというのは、これはもう犯罪である。 だから文芸評論は使えないと作家に言われるのだ。チキンや無能者の評論を反省の種にする馬鹿はいない。評論と実作の間の良きフィードバックなぞ、勿論望むべくもない。 では仲俣暁生氏はどちらであろうか。ブログに載せていた2009年のベストを見る限り、チキンであることはほぼ間違いない。立派な御用評論家ぶりだ。ではスキルの方はどうか。 20

    佐藤亜紀 日記: 2009.3.29
  • 2008.10.11 - 日記

    反論あります、とか言う人がいるんでググんなきゃならなかったよ。 で見てみたんだけど、ちょっと冷静になって書き直してみたらどうかな。2ちゃんねるのスレッドから自分のカキコをコピペしてきている訳だけど、他の人の書き込みをカットしているので、何故こんなにヒートアップしてるのか全く不明。で、ヒートアップすればするほど、内容はただの僻みに見えてくる。見下した、とか言って騒ぎ出すのは匿名掲示板の煽りとしてしか効かないよ。今ちょっと急いでるんで簡単なヒントしかあげられないけど、問題はジャスコ・ワールドの是非ではなくて、ジャスコ・ワールドを無条件に肯定することで隠蔽される文化的資(ブールデューの訳書では確かそう)の偏在にあると言うこと。今のところはまだ(この先はしらん——多分宇野氏らが無自覚に片棒を担いでいる風潮が更に進めば、この偏在は克服不能なものになるだろう)この偏差は絶対的なものではないにも拘らず

    2008.10.11 - 日記
  • 大蟻食の生活と意見 日記 : 2008.10.10

    宇野常寛「ゼロ年代の想像力」読み中。連載中に読んだのだが、「小さな成熟」に至って凄まじい徒労感を感じ、なかったことにしていたのだ。大幅書き足しをしたようなので何か変わったかと思って買ったのだが、いやもう、そういう問題じゃないね。 宇野氏にしても、宇野氏が目の敵にする東浩紀にしても、結局やっていることはB級グルメである。B級と言ってもどこぞの商店街の肉屋さんのコロッケがうまい、とかそういう、昭和の御代の低回趣味的なB級グルメではなく、すかいらーくとかデニーズとかの話だ。それはまあそれで面白くないこともないのだが、すかいらーくやデニーズを論じることだけがを論じることだと言い始めるからおかしなことになってくる。東氏は歴史的な事例を完全に度外視することでそう言う奇形的な議論を成立させようと試みるし(一遍、ファミレスの調理の革命性を熱く語る東君に、じゃ汁なし担々麺ってどうなの、に類する質問をしたら

    大蟻食の生活と意見 日記 : 2008.10.10
  • 日記: 2007.6.13 新聞の書評で見て、『滝山コミューン1974』を読んでいる。

    新聞の書評で見て、『滝山コミューン1974』を読んでいる。ほとんど終るところだ。ぶっちゃけた話、もっと別な書きようのあるだ。七十年代前半の郊外団地とその政治傾向、日教組系の怪しい教育方針とその影響、その怪しい方針に翻弄されながらも鉄道への愛に目覚め四谷大塚に通う小学生の回想、どれを取っても優に一冊分の量を必要とする内容だ。だが、短すぎる、盛り込みすぎる、が最大の欠陥と言うのは、むしろ天晴れなことだと言わざるを得ない。当時の同級生たちや当のカリスマ教師にも直接取材、というなら、その辺、もっと生な素材を見せていただきたかった気もするが。 私は今、猛烈に怒っている。ちっくしょう、そういう仕掛けだったのかよ、であり、人の貴重な時間を詰らんことのためにくすねやがって、であり(学校なんか行かずに家でピアノ弾いて英語習って、残りの時間読みたいを読みたいだけ読んで過ごしていたら、私はもう少しましな教養

    日記: 2007.6.13 新聞の書評で見て、『滝山コミューン1974』を読んでいる。
  • 2007.7.10 - 日記

    バイオリンのお稽古もせんと、伊藤計劃氏の『虐殺器官』を読んでしまう。実は私、ここ二年ばかり(もっとか?)、彼のブログの愛読者であった。更新が途絶えるとかなり、まじで、心配した。コミケまで彼のメタルギアを買いに行こうと思ったことさえあり、映画の批評も結構好きで、一頃は知り合いに端から凄いすごいと言って歩いたくらいである。この人の小説なら是非読みたいと思っていたから、小松賞に落ちた時にはちょっとがっかりしたし、早川で出ると聞いた時には心待ちにした。すかさず買ってから『バーチウッド』の担当者に、言えば持って来ましたよと言われ、あ、そうか、と思ったが、別に後悔はしていない。買うだけの値打ちは充分にあるからだ。 既にweb上には相当数感想や批評が出ているから、ごしゃごしゃ書くことはしないが、一読して感じ入ったのはその繊細さだ。もちろん題材は、タイトルと表紙に偽りなく、凄まじい訳だが、にも拘らず、ち

    2007.7.10 - 日記
    crow_henmi
    crow_henmi 2007/07/15
    陳腐なものは案外「終わらない」ものだし、基底的、といえるかもしれない。あと、小松左京は「人類の進歩と調和」すらも俯瞰する視点とそれでもミクロの営みがあるという視点を併せ持っていると思う。
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