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教育に関するcugelのブックマーク (28)

  • ニューヨーク・タイムズ「教科書闘争で、歴史の書き換えを狙う日本の指導者たち」New York Times - In Textbook Fight, Japan Leaders Seek to Recast History

    ニューヨーク・タイムズ「教科書闘争で、歴史の書き換えを狙う日の指導者たち」New York Times - In Textbook Fight, Japan Leaders Seek to Recast History 安倍内閣のもと、沖縄県八重山郡竹富町の教育委員会に対し、右派系出版社による社会科教科書の採択を受け入れるよう圧力が強まっています。「ニューヨーク・タイムズ」に掲載された記事を、文中に登場する琉球大・名誉教授、高嶋伸欣氏の監修で紹介します。高嶋氏による解説が末尾にありますのでそちらもお読みください。 In Textbook Fight, Japan Leaders Seek to Recast History マーティン・ファクラー MARTIN FACKLER 2013年 12月28日 沖縄県竹富町 発 安倍晋三首相の保守内閣は、よりナショナリスティックな色彩をおおっぴら

    ニューヨーク・タイムズ「教科書闘争で、歴史の書き換えを狙う日本の指導者たち」New York Times - In Textbook Fight, Japan Leaders Seek to Recast History
  • スズメ∞たいちょう(@Hornet_B),貧困と教育を語る

    有村さんのTLに於ける以下に記す議論から ここではRTされた有村さんと議論していた方のアカウント名など個人を示す情報は従属的であるので,RTからアカウント名を削除し編集します. ++++++++++++++++++++++++ 議論の発端は,このように「日貧困は甘えだ」とする見解に対する有村さんの反論からでした. RT 日人の言ってる貧困を世界の貧しい国の方が見たらどう感じるだろうか?わたしは、中学卒業して働き家にお金を入れて、高校を卒業した。だから言う国に甘えるな、甘えさせるな! RT 貧しいからと言って甘えさせるな、甘えるなと言ってるんです。助けるなとは言いませんが努力をしないと見えない事がある。安易に金を与えても意味が無い。 有村悠氏: 敢えて言う。あなたの個人的な貧困経験を他人に強いようとするな。 社会福祉に頼らせること、頼ることは甘えさせでも甘えでもない。 ++++++++

    スズメ∞たいちょう(@Hornet_B),貧困と教育を語る
    cugel
    cugel 2013/02/12
    脱線:「たいちょう」なのは https://twitter.com/Hornet_B/status/301534281094799360 にあるとおり http://togetter.com/li/383519 の時から突然なんとなく自称しはじめただけだそうで。
  • 朝日新聞デジタル:「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ

    【岡雄一郎】体罰問題について、元プロ野球投手の桑田真澄さん(44)が朝日新聞の取材に応じ、「体罰は不要」と訴えた。殴られた経験を踏まえ、「子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねない」と指摘した。 私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。小学3年で6年のチームに入り、中学では1年でエースだったので、上級生のやっかみもあったと思います。殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です。 早大大学院にいた2009年、論文執筆のため、プロ野球選手と東京六大学の野球部員の計約550人にアンケートをしました。 体罰について尋ねると、「指導者から受けた」は中学で45%、高校で46%。「先輩から受けた」は中学36%、高校51%でした。「意外に少ないな」と思いました。 ところが、アンケートでは「体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%にのぼり

    cugel
    cugel 2013/01/12
  • 「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ

    「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ体罰について語る桑田真澄さん=11日午後、東京都新宿区、越田省吾撮影 【岡雄一郎】体罰問題について、元プロ野球投手の桑田真澄さん(44)が朝日新聞の取材に応じ、「体罰は不要」と訴えた。殴られた経験を踏まえ、「子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねない」と指摘した。 私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。小学3年で6年のチームに入り、中学では1年でエースだったので、上級生のやっかみもあったと思います。殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です。 早大大学院にいた2009年、論文執筆のため、プロ野球選手と東京六大学の野球部員の計約550人にアンケートをしました。 体罰について尋ねると、「指導者から受けた」は中学で45%、高校で46%。「先輩から受けた」は中学36%、高校51%

    cugel
    cugel 2013/01/12
  • 時代の風:「マンドの奇跡」思う=元世界銀行副総裁・西水美恵子- 毎日jp(毎日新聞)

    教育格差、今こそ正す時 新学年が始まる頃になると、「マンドの奇跡」に思いをはせる。 世界銀行での23年間、多種多様な職務に就いたが、何故かどこに異動してもパキスタンがつきまとった。非人間的な貧困生活を初めて知り、想像を絶する貧富の差に強烈なショックを受けた国だ。民主主義を隠れみのに腐敗しきった為政者は、私腹を肥やすこと以外は無関心。それを嘆くことさえ諦めた国民感情に、Failed State(破滅国家)となりうるリスクを察知した。貧困解消への糸口など見えず、パキスタンの未来に絶望感を抱き始めた頃、「マンドの奇跡」を知った。 パキスタンで最も貧しい地域は、南西の片隅にあるバルチスタン。そのまた片隅のマンド村に、小学校から高校までの一貫校、マンド女学院がある。女学院の偉業に感動した人々が、誰からともなく「マンドの奇跡」と呼びはじめ、定着した。

  • トンデモ教育論「親学」を推進してる人たちの話 - 俺の邪悪なメモ

  • リヴァイアさん、日々のわざ: 「かけ算の順序」の問題について。ニュージーランドの算数教科書を見ながら……

    の小学校で教えられるのとは、順序が逆に教えるのが英語圏の流儀のようで。 その証拠(?)写真。 2009-2010にかけてNZに滞在した際、古い教科書を学校が廃棄する現場にたまたま出くわし、一冊持ち帰った中に、かけ算の導入部が含まれてました。 日で「正しい」と一部の小学校教員が信じているという順番とは正反対ですね。 かけ算の順番は、教授法として教えやすい方法で教えるのがよいでしょうが、その順番自体が、数学・算数的に「正しい」「正しくない」というものではない、ということを主張したいですね。 当に「かけ算には正しい順番」があると思っている人は、それが、数学として宇宙的普遍的なものと感じているフシがあるようなのですが、実際のところは、宇宙的どころか、地球的真理、というわけでもなく、あくまで「文化」「お約束」のレベルだと、この一例からでも納得してもらえるのでは?(だといいな)。 取り

  • わが子がイジメられてるらしいと思った親が最初にしたこと

    それは記録。 背中が痛いと訴えてくる息子を裸にしたところ、広範囲に内出血跡を見つける。詳細は省くが、殴られたらしい。「すわイジメ」と気負いたつのではなく、ゆっくりと子どもの話を聞く。度を越した悪ふざけなのか、陰湿なやつなのか見きわめがつかないし、子どもの話なので一貫性が見出しにくい。 まず、子どもの話を遮ることなく最後まで聞く。たずねるニュアンスの「訊く」のではなく受け入れるように「聞く」。そいつを逐一記録する。客観的に述べるのは難しいだろう(大人だってそうだ)、だから矛盾点には目をつぶり、ありのまま記録してゆく。ついでに写真も撮っておく。トラブルが大きくなり、収拾がつかなくなってからではなく、(たとえ一面からでもそれを自覚しつつ)子どもからヒアリングを続ける。 次に、「親は味方だ」というメッセージを伝える。独りで抱え込むなという。どうしても言いたくないのであれば、無理に聞くことはない。親

    わが子がイジメられてるらしいと思った親が最初にしたこと
    cugel
    cugel 2011/01/13
  • 『かけ算の式の順番、矢野健太郎氏の考え』

    「4×6、6×4論争」(論争自体の初出は、1972年1月26日の朝日新聞)については、矢野健太郎氏も書いていました。(新潮文庫『おかしなおかしな数学者』1974年、119ページ以下) 名古屋のラジオ局から電話がかかってきて、意見を求められたので、「どっちでもい」と答えたら、その理由を1時間後に聞かせてほしい、そのままラジオで放送するから、ということで、1時間必死に考え、次のように答えたということです。 1人に4つずつ6人に配るには、まず鈴木君に4個、次の田中君に4個、‥‥という方法がある。その図があります。縦に4個のミカンを点線で囲んだ列が6列あります。 「このように考えたとすれば、必要なミカンの数は、4のかたまりが6つあることになるから、 4×6=24 と計算するのが自然であろう。」 しかし、つぎの方法もあるとして、まずミカンを1個ずつ6人全員に配り、つぎにまたミカンを1個ずつ6人全員に

  • それでも自然数の積は可換である - 吾輩は馬鹿である

    このブログは、専門外の人間が外から密輸した理屈で、正しいことを正しいと主張することを禁止する風潮を批判するためのものである。そんな私にとってどうしても看過できないのが、今回の「掛け算の順序」騒動だ。詳細は以下を参照。 かけ算の5×3と3×5って違うの? - Togetter 特に、応用数学を専門とし、中高の数学教諭の専修免許も持ち、さらに子供時代に遠山啓の数学に親しみ現在も遠山啓の著作集が棚に並んでいるというような私としては、まるで掛け算の順序を区別することが遠山啓の意にかなっているかのごとく喧伝される*1のは我慢がならない*2。 この件については、上記togetterで既に、学識豊かな方々が大抵の論点には触れてくださっているので、私は今まで余り触れられていない論点 「積は一般に非可換」という言説の妥当性 交換法則の証明は必要か 「定義」や「立式のルール」をどの程度遵守すべきか 北海

    それでも自然数の積は可換である - 吾輩は馬鹿である
  • 『かけ算の歴史についての走り書き』

    考えたら不思議な気もするのですが,かけ算の式の順番問題は,累加で教えていた時代には出てこなかった。 大雑把な流れは次のようなところでしょうか。 奈良~江戸時代から大正まで かけ算九九は「片九九」だった。順番は問題にならない。 戦国時代末からソロバンが使われると,式の順番は,ソロバンの置き方(ソロバンの右(実;被乗数)におくか,左(法;乗数)に置くか)の区別としてあったとしても(算木の場合は,算盤の上欄に置くか,下欄に置くか),口伝は片九九だから,4×3も「三四12」と頭の中で唱えている。証拠の文献は,ソロバンの解説書の記述にあり。 大正から1950年代まで かけ算九九は「総九九」,かけ算の教え方は累加の時代。式の順番は問題に上がってこない。 50年代から現在 累加批判を遠山の数教協が始める。「1あたり量×土台量=全体量」として教えるべきだと。 72年にかけ算の順番が問題になっていることが始

  • 3×5≠5×3問題について - 真夜中は別の人

    流れ的にはこんな感じ そういえば掛け算にはそんなルールが あったな 【最短理解】なぜ5×3ではなく3×5なのか – ワタタツの日記! かけ算の5×3と3×5って違うの? - Togetter 【ゆっくり理解】なぜ3×5で正答で、5×3が誤答なのか | Kidsnote 夜中なので簡潔に4つ目のエントリで扱われている学習指導要領解説について中心に述べる。あちらではなぜかソースが明示されていないが、以下の平成20年版の小学校学習指導要領解説の「算数編」のことだと思われる。 小学校学習指導要領解説:文部科学省 算数(1)(PDF) 算数(2)(PDF) 各学年の指導内容については「算数(2)」に載っている。この件で問題になっているのは小学2年生の学習範囲なので、「算数(2)」のP.79〜P.100が該当する。 さて、あっさり結論から書いてしまうが、この指導要領解説中に乗法の式の順序を重視せよと書

    3×5≠5×3問題について - 真夜中は別の人
    cugel
    cugel 2010/11/16
    横道だが、次元解析を「ひどい対策」というのは承服しかねる。
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 漢字テストのふしぎ

    小中高200名の先生による漢字テストの採点のバラツキや基準の曖昧さに着目し、要因を解明する行動の取材記録。教育委員会、文化庁などの関係部門に基準はなく、入試基準か先生のこだわりなのか。様々な発見や矛盾を高校生が明らかにしていく。http://www3.jvckenwood.com/tvf/archive/grandprize/tvfgrand_29a.html

    漢字テストのふしぎ
    cugel
    cugel 2010/11/16
  • 『かけ算の式の順番について、遠山啓、森毅、銀林浩さんの各見解』

    「子どもが6人います。みかんを4個ずつあげるには、いくついるでしょう」 この問題で6×4という式を書いた生徒に×を付けた先生がいて、生徒の親が抗議した。発端は、これでした。新聞報道は、1972年の朝日。 遠山啓さんの意見は、どっちでもいい、というものでしたが、それは、どっちを「1あたり分」とみることも可能だから、というものでした。(現在、『遠山啓著作集 数学教育論シリーズ5 量とは何かⅠ』所収「6×4、4×6論争にひそむ意味」) 森毅さんの見解は次のようなものです。(『数の現象学』「次元を異にする3種の乗法」初版1978年、現在、ちくま学芸文庫) 「4×6とか6×4とかいった順序は、日とヨーロッパでは違う。日は「4の6倍」式に4×6と書くが、ヨーロッパでは「6倍の4」式に6×4と書く。これは左側通行か右側通行みたいなもので、言語習慣から来ている。ただし、日式の方が合理的というのが世界

  • 『「式の順番」が違うとバツにする元凶は数教協か? 再調査結果』

    mixiのトピ:http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=38880369&comment_count=750&comm_id=63370 では,小学校の教員の方は2,3の方の発言があっただけだなのですが,下記「かける数とかけられる数」スレッドには,小学校関係者の書き込みがかなりあるようです。 http://www.inter-edu.com/forum/read.php?903,1013957,1051510 で,このスレッドには,「数学的には正しくても算数としては間違っていることもある」とか,「「数」に交換法則は適用できますが,「量」には適用できません」などという,びっくりこいた発言が飛び出しています。 しかも,数教協がそのような主張をしているように書いているので,数教協隠れ信徒としては,そこで紹介されている文献を自分の目で確かめねばならなくなりました。 榊忠男 監修

    cugel
    cugel 2010/11/15
    "かけられる2つの数量の性格が違いますから,それらの数量を入れ替えることはできません"……そう言われると、性格の異なる量をなぜ掛けてもいいのかわかんなくなるぞ。
  • 担当者が語る! 私のイチオシ教材

    「マイナスイオン」という言葉を聞いたことのある人は多いと思います。 でもそれが,実際のところどういったものなのか,きちんと説明できる人は,そう多くないのではないでしょうか。ところが困ったことに,「身体にいいもの」という曖昧なイメージだけが刷り込まれてしまっている人は多く,数年前まで,「(この商品は)マイナスイオンを発生させる」の謳い文句が高い訴求力をもってしまっていました。 一方で,化学を学ぶ高校生への影響も懸念されました。「陰イオン」のことと勘違いした編集部員もいたのです,そう思い込んでしまう高校生がいたであろうことは,想像に難くありませんでした。 そこで,新刊の『スクエア最新図説化学』には,「マイナスイオン」を説明したコラムを設けることにしました。もう5年前のことになります。曰く,「化学的に十分な解明には至っていない」,「生体への影響についても,十分な検証がなされているとは言いがたい」

  • 教育におけるインセンティブ、あるいは勉強ワイロ - P.E.S.

    アメリカのタイム誌に掲載された教育についての実験のレポートです。実験内容は、子供に勉強したら金やんぞ!と言ってみて、それでどれだけ学習するか見てみよう!というものです。さてここまで読んだだけで反射的に反感を持った人もいると思いますが、まあ判断は読んでからしてみてください。 ただ事前にいくつか言っておきますと、この実験の目的は教育におけるインセンティブの活用を理解することです。お金以外でも教育においては、成績評価は勿論、褒め言葉、賞状、賞品、なんらかの罰、さらには将来の就職・進学可能性など様々なインセンティブが使われています。勿論、理想としてはそういった外部のインセンティブによってではなく、子供達が自分自身望んで学習するようになるのが望ましいわけですが、まあ、子供は現実世界に生きてます。では、外的なインセンティブを使うとして、どこにどう使うべきなのか?この実験はその点についてある程度の答え、

    教育におけるインセンティブ、あるいは勉強ワイロ - P.E.S.
  • http://www.mammo.tv/interview/archives/no189.html

  • 博士はなぜ余るか? 日本の科学技術政策の10年に関する覚え書き - Where Angels Fear To Send Trackbacks (kasuga sho diary)

    いろいろありまして、久々のブログ更新です。 現在、サイコムで、大学院ガイドを編集作業中であったりする。大学院進学を考えている人必読の書にしたいと思っているわけである。で、そこで一章、日の大学院が置かれている歴史的な状況を解説する章をつけたいと思っていた。というのも、博士の失業率が高く、「余剰博士」という言葉まで登場する昨今、大学院に進学することが自分にとってどういう意味を持つかの検討なしに進学することはお勧めできないからである。といって、大学教授たちも先輩院生もあまりそのあたりのことを把握しているとは言い難いし、政府が十分な説明責任を果たしているというわけでもない。そこで、世界的に、あるいは日において科学技術や大学院教育の持つ意味を若干なりと検討してみたいと思った次第である。 しかしながら、残念なことにさまざまな制約から人様にお金をいただけるようなレベルのレポートは作成できないと思われ