タグ

2008年12月25日のブックマーク (4件)

  • Q:日本に行ったら何をしたい? A:「地震を体験したいデース」 : 痛いニュース(ノ∀`)

    Q:日に行ったら何をしたい? A:「地震を体験したいデース」 1 : ネチズン(愛媛県):2008/12/23(火) 23:01:13.58 ID:NeAJiUE7 「地震を体験したい」「銅鑼(どら)がほしい」「カプセルホテルに泊まりたい」−。日を訪れる外国人観光客の数が過去最高のペースとなり、全国の観光案内所にユニークな質問が相次いでいる。特に初来日の観光客は「サムライの国」といったイメージを膨らませている人も多いという。日政府観光局(JNTO)では、質問を集めた事例集を全国の観光案内所に配布し、観光客が増える年末に向けてスムーズな対応を呼び掛けている。 「地震を体験できると聞いたのですが…」。JNTOが運営する観光情報センター(東京都 千代田区)の上野裕子アシスタント・マネジャーは数年前、観光客からこう切り出され、 驚いたという。「話を聞くと、防災教育などに活用されている起震車に

    Q:日本に行ったら何をしたい? A:「地震を体験したいデース」 : 痛いニュース(ノ∀`)
    dairaku
    dairaku 2008/12/25
    このスレを読んでふと確信した。日本SUGEEEEを殺す殺さないなんていう論争があったけど、こういう日本と海外のギャップの話が面白いのは、ホルホルとかの自己顕示欲の話ではなくて、単純な知的好奇心の話だ。
  • それって勉強じゃないよ : 404 Blog Not Found

    2008年12月24日20:30 カテゴリArt それって勉強じゃないよ 言葉というのは時代を経るに従ってさまざまな意味を持つようになるのだけど、意味を拡大解釈しない方がよい言葉というのが確かにある。 「勉強ができる」ということは「努力し続ける力がある」ということ - ひがやすを blog 勉強の意味を狭く捉え過ぎていると思うな。 勉強が、それだ。 勉強。努めて、強いる。 なぜこれが、学習の意味で用いられるようになってしまったのか。 「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記 小学校に入学して、真新しい教科書をどっさりもらったときは、ほんとうに嬉しかった。 だからそれは、「勉強」じゃないんだってば。 努めて強いてないんだから。 404 Blog Not Found:勉めなくても強い人々 私は、勉強なるもの楽しんだ事がない。「勉強」という字をもう一度見て欲しい。「勉めて強いる」。これが

    それって勉強じゃないよ : 404 Blog Not Found
    dairaku
    dairaku 2008/12/25
    値下げを意味する「勉強させていただきます」なんて言葉があることを考えると確かにそのとおりだと感じてしまう。だが「学習」だろうと「楽習」だろうと、それに対する評価が低すぎるというのは別の問題としてある。
  • [不思議の国アメリカ] “オンライン決済不在”の驚くべき実態

    上田 尊江 TransAction Holdings, LLC. CEO  Founding Partner 「ほんとに信じられない!」「なんでそんなことするの?」「なぜ日みたいにしないの?」 2006年、アメリカに引っ越してから、アメリカ人の夫にこんな質問を頻繁にぶつけるようになってしまった。毎日びっくりすることの連続だったからだ。個人的な理由でアメリカに永住することになり、輸入事業を手がける会社を設立した。一人の消費者として日常生活を送り、またスモールビジネスのオーナーとして経営をする中で、日アメリカの様々な違いを目の当たりにし心底驚いた。 アメリカ系企業で働いたこともあるし、アメリカと日の橋渡しをする仕事もしたから、アメリカのことはそれなりに分かっているつもりだった。でも紙の資料やメディアを通して知るアメリカと、実際のアメリカはすごく乖離していた。日では当たり前だった仕組み

    [不思議の国アメリカ] “オンライン決済不在”の驚くべき実態
    dairaku
    dairaku 2008/12/25
    隣の芝は青い、とはよくいったものだ。日本が自虐する「ガラパゴス」な一面は、どこの国でも一定の数はある、と。当たり前のことを再認識させてくれる記事。
  • 「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記

    このへんの話題について。はてな匿名ダイアリー:勉強が出来る=頭がいい?404 Blog Not Found:勉強が出来る=何がいい? 小学生のころ、学校のテストで苦労したことはなかった。「勉強ができる」子供だったと思う。 保育園児のころからを読むのが好きだった。絵も、図鑑や「かがくのとも」も好きだった。を開くと、自分の知らない世界や、なぜかなつかしく感じられる世界に、体ごと入り込めるのが好きだった。幼児教育の類はまったく受けていなかったけど、何かのごほうびにねだるものは、たいていだった。 小学校に入学して、真新しい教科書をどっさりもらったときは、ほんとうに嬉しかった。《これだけの新しい世界が、私を待っているんだ!》嬉しくて嬉しくて、教科書を次々めくって読んでいたら、新入生の世話をしに来た6年生が、「おまえ、ほんとうに読めるのか?」と言った。くやしいので音読してやったところ、「じゃあ

    dairaku
    dairaku 2008/12/25
    『なぜ、…勉強ができるといじめられるのだろう?』勉強はある意味での陰湿さを持ちながら、かけっこのような「華」がないからなぁ。その陰湿さと戦うのも「勉強」のうちなのかもしれない、と最近思うようになった。