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2022年5月2日のブックマーク (7件)

  • 不適切行為を告発されたビル・マーレイが初コメント「自分では面白いと思っていたが、そう受け取られなかった」「時代は変わった」 | THE RIVER

    不適切行為を告発されたビル・マーレイが初コメント「自分では面白いと思っていたが、そう受け取られなかった」「時代は変わった」 Photo by Nathan Congleton https://www.flickr.com/photos/nathancongleton/40627600814 | Remixed by THE RIVER 主演最新作『Being Mortal(原題)』の撮影現場での不適切な言動を告発された俳優のビル・マーレイが、報道後はじめて公の場に登場し、騒動についての反省と現状を語った。 『ゴーストバスターズ』などで知られるマーレイは2022年4月、映画『Being Mortal』の現場で不適切な言動があったとされ告発。調査のため、同作は製作中断となった。マーレイがいかなる言動を行なったかの詳細はわかっていない。 騒動後、米CNBCのインタビューで初めて公の場に登場したマ

    不適切行為を告発されたビル・マーレイが初コメント「自分では面白いと思っていたが、そう受け取られなかった」「時代は変わった」 | THE RIVER
    daiyusaku
    daiyusaku 2022/05/02
    社会的地位のある人間がその権力を振りかざさず自分の間違いを認めて更に成長しようとする姿は、発言の内容にもよるが個人的には認められるべきと思う。
  • “オシムチルドレン”巻誠一郎氏「今でも指導されている感覚」答えをくれない恩師の教え - スポーツ報知

    ジェフ市原(現J2千葉)でオシム監督の指導を受けた元日本代表FW巻誠一郎氏(41)が2日、スポーツ報知の電話取材に応じ、1日に80歳でこの世を去った恩師をしのんだ。千葉OBのグループラインで訃報を知った同氏は「人生に影響を受けるたくさんの指導を受け、オシムさんの背中を見続けてきました。オシムさんの一挙手一投足がすべて、僕の人生の教えになっています。もう一度会いたい、指導してもらいたい、話がしたいと常に思っていました」と別れを惜しんだ。 巻氏は2003年に駒沢大から大学屈指の大型ストライカーとして、市原に加入。同年に就任したオシム監督から指導を受け、05年にはJ1で12ゴールと活躍した。前線からのハードワーク、ゴールをこじ開けるプレーが認められ、日本代表にも名を連ねるように。06年のドイツW杯には、ジーコ監督によってサプライズ招集された。 「僕はできること、できないことがすごくはっきりしてい

    “オシムチルドレン”巻誠一郎氏「今でも指導されている感覚」答えをくれない恩師の教え - スポーツ報知
    daiyusaku
    daiyusaku 2022/05/02
    そういやオシムって巻は政治家に向いているって言ったんだっけ?
  • “オシムチルドレン”羽生直剛氏「サッカー選手がゴールじゃない。いい人生を歩めと…」 18年の再会振り返る - スポーツ報知

    “オシムチルドレン”羽生直剛氏「サッカー選手がゴールじゃない。いい人生を歩めと…」 18年の再会振り返る 元日本代表MFの羽生直剛氏が2日、恩師で1日に死去したイビチャ・オシム氏との現役時代や引退後のエピソードを回想し、悼んだ。 羽生氏は市原(現千葉)時代にオシム氏の下でプレーし、2006年にオシム氏が日本代表監督に就任すると、日本代表にも招集されるなど「オシムチルドレン」とも呼ばれた選手の一人。羽生氏にとって、「教育者だった」といい、「関わった人、全てを成長させられる指導者だった」と振り返る。 最も心に残っているのは「もっと上を見ろ、空は果てしない」という言葉。18年末にFC東京の強化部として仕事で渡欧していたオフを利用してサラエボで再会し、約2時間、事をしながら話した。「僕のためにスーツを着てきて、かっこいいなと。何で指導者をやらないんだという話と、やりたいことがあると言ったら、『も

    “オシムチルドレン”羽生直剛氏「サッカー選手がゴールじゃない。いい人生を歩めと…」 18年の再会振り返る - スポーツ報知
    daiyusaku
    daiyusaku 2022/05/02
    大丈夫。これからはオシム爺ちゃんはどこで何をやっていても見ていてくれる。
  • 名古屋・長谷川健太監督「非常に勇気づけられた」 J監督1勝目がオシム氏の千葉…会見の秘話明かす - スポーツ報知

    サッカー日本代表監督のイビチャ・オシム氏が1日に死去した。Jリーグで対戦経験のある名古屋の長谷川健太監督が2日、オンライン取材でオシム氏との秘話を明かし、「非常に勇気づけられ、今、こういう形で監督を続けることができた」と感謝と敬意を示した。 2005年、長谷川監督は古巣の清水にJ初監督として就任した。開幕から6試合未勝利で苦しい状況が続いた中、7試合目で拠で対戦したのが、当時、オシム氏が率いる千葉だったといい「開き直ってぶつかっていくしかないと、2―1というスコアで初勝利した」。その試合後の会見で、「エスパルスは序盤戦で苦しんでいる中で、長谷川監督の進めるサッカーは決して間違っていないと、あえておっしゃってくださった」という。その言葉を受け「相手の勝った監督をフォローするのは、我々なんかには到底できない。オシム監督は心境をくんでくれて、負けたにもかかわらず、認めてくださり、私も非常に勇

    名古屋・長谷川健太監督「非常に勇気づけられた」 J監督1勝目がオシム氏の千葉…会見の秘話明かす - スポーツ報知
    daiyusaku
    daiyusaku 2022/05/02
    こういうエピソードの一つ一つが日本サッカーの礎になっている。
  • タコ滑り台の「聖地」足立区、誕生のきっかけは区担当者の「頭をつけてタコにしろ」 - ライブドアニュース

    東京都足立区の公園では、タコの形を模した滑り台をよく見かける。 子どもたちにも人気のタコ滑り台は全国に200基以上あるとされ、「発祥の地」をうたう足立区には11基が集まる。なぜ足立はタコ滑り台の聖地になったのだろうか。(大原圭二) 足立区に聞いてみると、1965年にできた同区西新井の新西新井公園にあるものが、全国で第1号のタコ滑り台と言われているとか。生みの親こそが、多摩美術大学の名誉教授で彫刻家の工藤健さん(84)=写真=だ。 大学時代に彫刻を学んだ工藤さんは64年、公園の遊具などを製作する会社に入った。世の中は東京五輪の開催に沸き、新幹線や道路、住宅が続々と整備されていた。新たな街の誕生に伴って公園も増え、魅力的な遊具が求められていたという。 「美しい彫刻に、トンネルなども備えた滑り台をつくって子どもを楽しませたい」と考えた工藤さん。ぐにゃぐにゃとした曲線を使い、滑る部分がいくつもある

    タコ滑り台の「聖地」足立区、誕生のきっかけは区担当者の「頭をつけてタコにしろ」 - ライブドアニュース
    daiyusaku
    daiyusaku 2022/05/02
    面白いなあ。「タコにしろ」って言った足立区の担当者はどういう根拠だったのだろう?見た瞬間にインスピレーションされたのかなあ。
  • 札幌・ペトロヴィッチ監督「私にとっての師匠であり、先生。彼にとってサッカーは人生そのものだった」オシム氏を悼む - スポーツ報知

    札幌・ペトロヴィッチ監督「私にとっての師匠であり、先生。彼にとってサッカー人生そのものだった」オシム氏を悼む J1北海道コンサドーレ札幌のミハイロ・ペトロヴィッチ監督(64)が2日、北海道・宮の沢白い恋人パークでの練習後に取材に応じ、80歳で亡くなった元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシム氏に追悼と感謝の意を示した。 ペトロヴィッチ監督は93年、オーストリア・Sグラーツで現役を引退し、ユース年代の指導者に。94年より同クラブのトップチーム監督に就任したオシム氏と、28年間に渡って、共に戦い、語り合ってきた間柄。その大きな存在が、06年の広島監督就任から、日でのキャリアを歩むきっかけともなった。指揮官は「まずは偉大な監督が亡くなられたことに、私自身、悲しい気持ちでいっぱいである。彼にとってサッカー人生そのものであり、サッカーとともに生きた人生だったと思う。サッカー界のイノベーターで、

    札幌・ペトロヴィッチ監督「私にとっての師匠であり、先生。彼にとってサッカーは人生そのものだった」オシム氏を悼む - スポーツ報知
    daiyusaku
    daiyusaku 2022/05/02
    そうかあ、昨年末までは元気だったのかあ。
  • 【オシム氏死去】最多出場は鈴木啓太、唯一全20試合に先発 オシムジャパン出場全44選手一覧 - 日本代表 : 日刊スポーツ

    日本代表監督のイビチャ・オシム氏が亡くなった。1日、オシム氏がかつて監督を務めたオーストリアのクラブ、シュトルム・グラーツも公式サイトで発表した。80歳だった。 ◇   ◇   ◇ オシム氏は06~07年に日本代表監督として国際Aマッチ通算20試合で指揮し、12勝5分け3敗だった(PK戦の1勝2敗は引き分け扱い)。 06年8月9日の国際親善試合トリニダード・トバゴ戦(国立)で初采配。MF鈴木啓太、DF田中マルクス闘莉王ら戦後最多となる9人が代表デビューを果たした。 通算20試合で計44人が出場。そのうちオシムジャパンで国際Aマッチ初出場の選手は半数以上の24人を数えた。 最多出場はMF鈴木啓太で、唯一20試合全てに先発出場。次いでGK川口能活が19試合、DF駒野友一が18試合、MF阿部勇樹とMF遠藤保仁が17試合、MF中村憲剛が16試合で続いた。 最多得点はFW高原直泰で6得点。2位がF

    【オシム氏死去】最多出場は鈴木啓太、唯一全20試合に先発 オシムジャパン出場全44選手一覧 - 日本代表 : 日刊スポーツ
    daiyusaku
    daiyusaku 2022/05/02
    いやあ、当時のワクワクを思い出す。「これから何が始まるんだ?」という。