12歳ちゃん @hitonounti 今日全く身に覚えのない事で刑事の取り調べを受けました。初めは証拠の監視カメラの映像も見せると言ったのに全く見せる事もなく、目撃者も具体的な目撃証言も無くただ居るとだけ言われました。身に覚えがないと言うと最終的には人生がどうとかもはや任意の被疑者という立場は無視され犯人扱いでした。 pic.twitter.com/cYsnTdvOSj 2017-11-01 23:05:21
お久しぶりです。このブログ、一年近く放ってありましたが、久々の恒真…もとい更新です。今日は、先日見つけた論理学ネタについて。 一階述語論理と集合論は循環していませんか? 一階述語論理の意味論には集合概念が使われていて集合論の公理は述語論理で記述されているように感じるのですが、これは卵が先か鶏が先かの構造になっていないのでしょうか。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13108980443 この問題は、質問者自身が言っているようにもちろん擬似問題ではあり、循環はしていないのですが、いい点に気が付いたな、と思います。これは、実は昔から論理学を学ぶ良くできる学生は必ず一度は悩むと言われている問題なのです(ちなみに僕は良くできる学生ではなかったので、自分では気がつきませんでした)。 この質問は、形式的な論理学に関し多く
私は小さい頃より人付き合いが苦手だった。 正義感が強く、向上心も向学心もあり、みんなで助け合えば世界は少しずつ良くなるはず。 そんな定番の盲目な優等生タイプだった。 本人がどんな気持ちかも大切だが、それ以上に再発防止や真実を明らかにすることの方が重要だと思っていた。 でも困っている人がいれば助けるし、一般的な義務は果たす。 甘い言葉よりも苦いアドバイスの方が、その先友人のためになるならと、後者を与えていた。 しかし、それをやると「人のことを考えていない」、「人はモノじゃない」だなんて言われる。 私としては、その人を本当に大切に思うからこその選択だった。 目先の雰囲気や厄介ごとや嫌われ者になることを回避するために、おざなりの対応をすることの方が人をモノとして見ているじゃないか。 嫌われても、今後友人が被る災難を1つでも減らすことが思いやりだと思っていた。 ……どうやらこのやり方は間違っている
本記事が切っ掛けとなってお声がけを頂き、本記事の増補リファイン版となる記事をSoftwareDesign 2018年1月号のシェルスクリプト特集第2章として執筆しました。リファイン版には、この記事で触れていない文法面での分かりにくさについての解説が含まれています。その文法面での分かりにくさの解説の一部に相当する記事もありますので、ぜひそちらも併せてご覧下さい。 Shell Script Advent Calendarをご覧の皆様、図々しくも5日目に続く2度目のエントリーのPiroです。 前回は自作のBashスクリプト製Twitterクライアントをネタに実装を解説しましたが、今日は他の言語で多少のプログラミング経験はあるんだけど、どうにもシェルスクリプトは苦手だ……という人のための、シェルスクリプトによるプログラミングの勘所を解説してみようと思います。多分、プログラミング入門レベルの人や上級
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