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学問に関するdasaitama_osamuのブックマーク (5)

  • 講義「なぜ帰宅後すぐ手を洗うのか-文化人類学の効用」

    文化人類学を学ぶことは何の役に立つのか、という質問を受けることがあります。最近では、学生からだけではなく、社会からそのように聞かれたらすぐに答えられるような講義が望ましいといった、くだらないことを大学内で言う人もいます(実際に「社会」がそんなことを大学教員に聞くなんてことはないのですが)。そのような質問への答えは、役に立つというのがどういう意味で聞いているのかにもよりますが、まあ、ふつうこういった質問は、直接に何かすぐに役にたつ(「お金になる」とか「就職が有利になる」とか「もてる」とか)ということを想定しているのでしょうから、その答えは何の役にもたたないということになるでしょう。けれども、あえていえば、文化人類学は、すぐに役にたつか立たないかという基準で生きていくような生き方とは違った生き方を想像するうえで、とても役に立つ学問だともいえるでしょう。というのも、文化人類学は、ひとつの社会での

    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2009/01/22
    「なぜ排泄後すぐ手を洗うのか。」/延々と手を洗い続ける強迫性障害とか、「世界を作り上げる」ことにうまく行っていないって感じかな。個人の例だとまた違うのか?
  • 学問に潜む価値判断について - 赤の女王とお茶を

    疑似科学、批判、道徳。 や、 dojinさんへの応答 を読んで感じたんですが。 まず、 「科学は価値判断を含まない」 ということ、これは科学とは「地図」であるでも書いたように、基的には正しいと思います。科学は"How"を明らかにするけれど、"Why"には答えない、というのはつまり、道筋を明らかにはするけれど目的地を決めるわけではない、ということです。 生命や宇宙が「どのように」存在しているのか、存在してきたのかを探る方法ですが、「なぜ」そうでなくてはならないのか、という究極には答えない。 …とはいうものの、主観的な価値判断と科学・学問が無縁かといえばさにあらず。 専攻する分野によって、なんとなく価値観が似てくるというのは経験的にはよくあることですね。 それはやはり、科学といえども単なる分析方法だけではなく、一種の「世界観」、つまり価値判断を予め含んでいるからではないでしょうか。 それが「

    学問に潜む価値判断について - 赤の女王とお茶を
  • 自己啓発モンダイを考える。 - くらやみのスキャナー

    沢尻エリカモンダイ同様やや昔の話題となってしまうが、栗原裕一郎さんによる岡田斗司夫『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書)の書評、及びそれに対するぶくまでの反応が非常に興味深かった。どこがどう興味深かったのかざっくり言うと、「自己啓発」「ライフハック」「GTD」というものに対する世間の評価・反応は賛否真っ二つだなあと。ほいで「自己啓発」というものの位置づけを自分なりに考えてみたのが下の図だがどんなものだろうか。その昔、60年代くらいだと、↓の赤く囲んだエリアに活力があったように思う。哲学・心理学と学生運動や市民運動。哲学も心理学もほとんどの人にとっては難解過ぎたはずだし、デモや投石を行って世界を変えられると思うのは、(当時としても)単純過ぎやしないかという懸念はあったはずだ。ただ、自分というものは複雑で把握し辛く、しかし世界はシンプルな方法で変えられるという認識は、概ね共有されていたのでは

  • 大学教員の日常・非日常:基礎研究の反対語は?

    「基礎」の反対だから「応用」と考えていた人。 はい、フラスコと同レベルのお友達。 基礎研究:すぐ役には立たない、知的好奇心のみ、道楽チック 応用研究:即役立てる、金になる、企業がやってる そんな拙くもボンヤリしたイメージをもってませんでした? 過去のエントリを見るに、フラスコは確実にそんなイメージをもってました。書いたのは6年前になりますが、今までもそんな雰囲気だけでとくに考えもしていませんでした。 ノーベル賞の野依先生が、師匠の上田先生から教わった考え方として、次のような基準を提唱しています。 研究を「基礎←→応用」という1軸ではなく 「基礎←→末梢」「純正←→応用」の2軸で表現する。 この基準で考えることで、いろんな誤解をとくことができる模様。 原理をつきつめていくものが「基礎」で、なんかコチョコチョやってるのが「末梢」 金にならないのが「純正」で、技術に発展し金にもなるのが「応用」

  • 2005-11-21

    『援交から天皇へ―COMMENTARIES:1995‐2002 (朝日文庫)』p.367-370 ここで重要なのは、確かにチョムスキーは驚くべき数理的業績をあげましたが、そのベースにあるのは一貫して自由を求める実存的希求だった、という点です。そしてその実存的希求が、彼自身のとった政治的行動と極めて緊密に結びついていました。 私はこういう人が大好きです。ノーム・チョムスキーに私はメチャクチャハマりました。変形生成文法もメチャクチャ勉強しまくりました。それは数理的な関心からと言うのでなく、繰り返しますが、実存的な関心からです。 私が小室直樹や廣松渉に惹かれたのも全く同じ理由です。小室にも廣松にも信じられないほどの教養があります。そしてその信じられないほどの知識量が、彼らの頭の中では主観的に構造化されています。 【中略】 彼らが過剰な教養を持っているのは実存的な核があるからだと私には直感的に分か

    2005-11-21
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