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心理と生きるに関するdasaitama_osamuのブックマーク (50)

  • 虐めっ子が死んだ

    学生時代に私を虐めて楽しんでいた虐めっ子が、線路に飛び込んで自殺した。 病苦と借金のダブルパンチで散々苛まれながら、ある日ふらっと出かけていって、そのままバラバラ死体になったという。 心の底から言いたい。 ざまぁみろ。 あのクズが。 学生時代からもう10年近く経つのに、未だにあの頃の忌まわしい記憶を思い出してはのたうち回り、 夢をみては夜中に目覚めている、私にとってお前の死がどれだけの救いになる事か。 葬式には行ってやるよ。 お前の死をこの目で確かめて、心の中で罵倒の限りを尽くしながら線香に火をつけてやるよ。 葬式に参列する者が、死者の死を悼む人間ばかりではない事を知っているか。 生前の行いが悪しければ、そのように死こそが尊ばれ喜ば、感謝されるのだ。 死んでくれてありがとう。 死者という最早何の抵抗もできない状態になってくれてありがとう。

    虐めっ子が死んだ
    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2010/05/21
    死んだことより「死ぬほど苦しんだ」ってのが重要かな。
  • 夏目漱石は「自分がない」空虚な状態からどう脱したのか?――「自己本位」の発見 | 現代人に突きつけられた「うつ」というメッセージを読み解く | ダイヤモンド・オンライン

    ――自分が当は何がしたいのかわからない。 前連載(「うつ」にまつわる24の誤解)の第16回でも取り上げましたが、現代の「うつ」において、このような悩みが浮上してくるケースが非常に多くなってきています。 今の社会では、幼い頃から「やらなければならないこと」を休みなく課せられてくることが多く、なかなか、ゆっくりと「やりたいこと」に思いを巡らす余裕が与えられていません。 そのうえ、外から「与えられる」膨大な知識を次々に記憶し、「与えられた」方法で要領よく情報処理することを求められるために、人々の多くは、「自分は何をしたいのか?」「これは当に自分がやりたいことなのか?」といった問いを持つこと自体に、不慣れになってしまっているようです。 しかしながら、このように「主体」を見失ってしまったという悩みは、現代人のみに見られる新しいテーマというわけではありません。これは、近代的自我の目覚め、つま

  • 多くの不登校は理由などないし選ぶもんでもない。

    一時期引きこもったりしてしまった。(http://anond.hatelabo.jp/20090222004116) お前は俺か?中学から高校に入る頃の、俺が書き込んでるのか?と言うぐらいお前は俺とかぶる。従って、その頃の俺と似たような状況だと勝手に仮定して思いこんで書くぞ。だから違ったら無視しろ。読まなかったことにしろ。そうしてくれないとかなり恥ずかしい。俺は「小学校五年から中学ほぼすべてを不登校」で過ごした増田だ。学校に行ったこともあったが、ほとんど保健室或いは特殊学級、相談室などにいただけだった増田だ。 とりあえずここで俺がこの増田を読んだのも何かの縁だろう。ということでレスをしておく。 今となってはなんで不登校になったのかすら完全にわからなくなてもうだめ 不登校というのは、理由がある方が珍しいのでそんなことは気にしてはいけない。というかよく某不登校支援の名の下に活動している団体を中

    多くの不登校は理由などないし選ぶもんでもない。
  • ある種のネト充やオタクたちは決して「リア充」にはなれない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    「リア充」という言葉、案外、廃れない。 どころか、じわじわとネト充圏外へと侵攻し始めている気配すらある。それだけインターネットが一般的になったということだろう。それにしても、リアルで充実とはややこしい概念だと思う。何しろ現実を真摯に見つめれば見つめるほど、大抵、充実からは遠ざかってしまう。現実とは来、身も蓋もないものだ。だから、充実の多くは夢や幻想や妄想に担保される。コンパやサークルの虚構性など今さらいうまでもない。そこにある人間関係も性関係も、所詮は個々人が抱く幻想同士の部分的な重なりにすぎない。解り合うことはおろか、認め合うことすらほとんどできはしない。 金持ちになることにも、異性にモテることにも、長生きすることにも、教祖になることにもさしたる意味はない。すべては等しく無意味である。一方で、巨乳を見れば揉みしだきたい衝動に駆られ、木陰で放尿する幼女の姿に興奮する。満たされぬ欲望はどこ

    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2009/04/17
    そのとおりすぎる
  • 楽に生きる3つの方法

    ・知ろうとしない事 過度の知りたがりは無駄なストレスを増やすだけ。 知らなくても良い事を知ろうとするのは労力の無駄。 セールの日程とゲームとマンガの発売日とアニメの放映時間くらいで十分。 自分が知らない事でもきっと誰かが知ってるだろうから。 知ろうとする暇があるなら庭の草むしりをしたり、アニメ見たり、 酒飲んだり、犬の散歩したりした方がよっぽど健やか。 金融不安や世界情勢や凶悪犯罪などを知って やれ政治家がどうのとか、マスコミはだから駄目なんだとか、 犯罪者に対して届かない怒りを覚えるのならば、 株価やこちらに向いているミサイルやややこしい歴史認識なんか放っておいて 花に水でもあげて「今日も良い天気ザマスね、オホホホ」なんて言ったり、 昼間から酒飲んで「太陽がいっぱいだ」なんて言っちゃう生活の方がよっぽど楽だしストレスもない。 それで社会が廻るか? そんな事難しい事知らないし、どうでもいい

    楽に生きる3つの方法
    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2008/12/13
    下の二つには納得できる、が一番上はうーん。世間と距離を置きつつ自分の道を進むなら、それこそ、より世の中を知ろうとしないとマズいんではないか。
  • 大切なのは「一ヶ月思い切り頑張る」事じゃない - 煩悩是道場

    雑感 何故「思い切り頑張る」のか。頑張った結果「自分はどうなりたい」のか。それがきちんと決まっている事が大切なんじゃないのかな。 わたし自身も自己啓発的なものに勇気付けられたりすることはよくあるんだよね。でもその勇気は持続しなくて反動的に自己啓発的なものに憎しみを感じてしまう。で、うまくやれないことで自己評価が低くなる。それの繰り返し。だから、ほかの人が自己啓発的なものとどのようにつきあっているかをしりたい。「1ヶ月間だけ、思い切りがんば」ったその後自己啓発的なものの問題点というのは「こうすればこうなる」と思わせてしまうというか、自己啓発という行為そのものが目的化してしまう点に問題があるんじゃないかな、と思う。例えばファッションで言うなら脱オタ、というのがあるけれど、例えば今年の秋冬の最新モードを着ればモテるのか、というと「ただしイケメンに限る」問題にブチあたるわけですよw服を着替えただけ

  • 何人をも幸せに出来ないのではないかという恐怖。 - 真性引き篭もり

    人は皆、誰かを幸せにする事が出来る。 人は皆、誰かを喜ばせる事が出来る。 ある一人の人間が他の誰かを幸せにし、その誰かがまた他の誰かを幸せにする。世界はそんな風にして回っている。人間世界というものは、とどのつまり、幸せのネットワークである。 円満な夫婦から生まれた赤子は、ただ「おぎゃー」と泣くだけで、他の誰かを喜ばせる事が出来る。他の誰かを幸せにする事が出来る。赤子というものは、類を見ぬまでの強キャラである。けれども成長するにつれ、人は皆その、天性の力を失ってゆく。 たとえば、今そこで、あなたが泣いたところで、誰が喜ぼうか。たとえば、今ここで、僕が泣いたところで、誰が幸せになろうか。何人も、幸せになどならぬのである。誰一人として、喜んだりはせぬのである。泣いてるだけでは、駄目なのである。では、どうすればよいか。 最も手っ取り早いのが、労働である。労働を行えば、誰かが幸せになる。即ち、労働を

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2008/07/25
    『やっぱりこの世は自分のようなやつに対する悪意に満ちている、と思って安堵』
  • http://d2.oredoco.net/archives/20

  • 嫌な経験も消化すれば栄養になる - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所

    どうなんだろ。法則性があるとは言えないな。 不幸な経験をした人間ほど人を不幸にしたがる。 よく、「辛い経験をしたことがある人間ほど人に優しくなれる」だの言われる事があるけどアレは大嘘。 実は嫌な経験や理不尽な経験をした人間ほど人にもそれを強いる。 不幸な経験をした人間ほど人を不幸にしたがる。 「辛い経験をしたことがある人間ほど人に優しくなれる」「不幸な経験をした人間ほど人を不幸にしたがる」のどっちか一方にパターン化することはできない。少なくてもオレは両方の人間を見てるし、知ってるのでねえ。決め撃ちは難しいな。 ただ、辛い経験とか不幸な経験の消化度によって差が出るような気はしている。過去として消化できた人は、それを経験としてモノにしているので、同じような経験について理解を示す傾向があるような。だから優しい人間になりやすい気がする。自分がしてもらってうれしいことをする。感謝の感情が鏡面反射する

    嫌な経験も消化すれば栄養になる - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所
    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2008/07/08
    分かるんだけど、『不幸不幸と思っているうちは不幸から抜け出せないのに。』これにも負の影を感じる。「過去と決別した」という過去から抜け出せてないというか。
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    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2008/05/02
    『当事者の精神は、トラウマを追体験させるあらゆる出来事を具体的ではなく、より抽象的に捕らえ、具体性を記憶から突き放すことで今ある身体を必死に守ろうとしている。』
  • 牛蒡 長い時間かけて植え込まれた劣等感から足を洗うことは難しい

    まぁそういうことだ。自分のかえられないところに原因を求めてしまったりする。運動神経が悪いから、顔が悪いから、容姿が悪いから、性格が悪いから、しゃべるのが苦手だから、滑舌が悪いから、耳が悪いから、頭が悪いからそうやって言い訳をひとつずつ作り上げていけば守ることはできる、できるけれどもそこから抜け出せなくなる。自分を塗りこめた壁を壊すのもやっぱり自分自身で、傷つくのは自分だけなのだ。ということを知っている。 劣等感というのはそもそも短期間で植え付けられるものではなく、長期間にわたればわたるほど、長期間否定され続ければ続けるほど捨てられなくなる。自分を守る殻は厚くなる。それを叩き壊すのはやっぱり時間が必要で、一度にはいかない。壊すために支えにしていた地面がぽっかりと抜けることもあるわけで、そうするとますます抜け出すことは難しくなる。そうやって、そうやってひとつずつひとつずつ、それでも、進んでいく

    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2008/03/01
    『行くしかない』と思えるためには、長い時間が必要だとしてもどうすればいいのか。劣等感を持ってしまうことで生じる行動や心理を否定されて劣等感スパイラルに陥ることだけは避けなければならないが。
  • リアル引きこもりと脳内引きこもり - As a Futurist...

    As a Futurist… 人の興味は尽きることがない.いや,興味を無くした時点で人で無くなる.永遠の「知りたい」を追求するブログ. ぷろふぃ~る はてブ たんぶら~ ぶっくす にこにこ りさ~ち とても納得できる文章だったのは、自分が半リアル引きこもり生活を しているからだろう。「学校制度教」という宗教の存在を意識させずに 国民、いや世界中の資主義社会の人間ほぼ全てに浸透させた 資主義社会国家というのは、人類史上最大の宗教団体なんだなと 納得できた。学校制度というものは資主義社会を回すために 必要な人間を生み出すための装置に過ぎないのに、宗教とすることで、 そこに行かないことは悪魔に憑かれたことと信じさせ、破門してきた。 テレビで見た精神科医も言っていたが、引きこもりというシステムを社会が 「認め」ない限り、いつまでたっても自殺はなくならない。いじめに あって自殺した生徒がいた時

    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2008/02/13
    『ずっと、「脳内では」引きこもりを続けていた。学校に行く意味を「勉強」という免罪符にのみ見出し、リアルでは引きこもらなかった僕だが、脳内ではもう幼稚園の頃から引きこもりを続けている。』
  • 欲求、欲望

    色んな欲求がある。色んな欲望がある。それらが満たされると非常に快感だし満足する。 欲とか、睡眠欲とかはさておき、「これが欲しい」欲や「あれをしたい」欲、「こう見られたい」欲なんかは、別に、無くても生きていけるものだ。 ぼくは買い物が好きだ。何かを手に入れるという行為がおそらく好きなのだと思う。なんでもすぐ欲しくなるし、なんでもすぐやってみたくなる。やりたいことはいっぱいある、他人にこうしてもらいたいというのもいっぱいある、こう見られたい、注目されたい、目立ちたい等など、ぼくには生きていく上では別に必要じゃない、一般的には「下種だ」と思われがちな欲望がたくさんある。 一歩その欲から下がってみる。「これ、買いたいけど、でも必要じゃないっていったら必要じゃないよな。カッコイイから欲しいだけだし。勿論手に入れたいけど、でも、なくてもいきてけるしな…」そう思うと欲はかなり収まり、薄くなる。その調子

    欲求、欲望
    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2008/01/21
    欲望を消すと生きる意欲がなくなるのに加えて、「自分は○○だ」って言えなくなるから他人とコミュニケーションできなくなるのが危険。するとますます欲望が消えるから、積極的に消そうとはしない方がいいと思う。
  • 20歳を過ぎたら、もうそれはお前の責任なんだ

    という論調をよく見かける。 「親からあれこれこういう目にあわされて、俺私はこんな風になった」と言っている人間に対し、 「お前もう○歳なんだろ?ならもうそれは、お前の責任なんだ。親のせいにするな」(これは20歳とは限らない、高校生くらいの場合もある) と言う論調である。 でも、果たして当にそうなのか? 確かに、法律的な、そういったある種の便宜的な意味ではそうならざるを得ないのかもしれない。要するに「だってそんな、いつまでも際限なく親のせいなんていってたらキリがないじゃん。その親を育てたのも親だしさ。だから20歳からは自己責任ってことで」という意味あいである。 あるいはまた別の便宜的な意味として「親にもう拘るな。親を恨んでも仕方が無い。そんなことは忘れて、もう自分で変えるしかないんだ」という、責任云々というよりも、当人のために敢えてそういういいかたをする、というのもまた有り得る。 確かにこの

    20歳を過ぎたら、もうそれはお前の責任なんだ
  • ADHD友の会(必然性と能力) - phaのニート日記

    ニート人生設計 - phaニート日記 「俺はニートでふらふらしながら生きてくぜー」的なことを最近書いたりしている僕ですが、それは「好んで」というのもあるけれど、自分としては「もう生きていくにはそれしかないよなあ」という感覚であったりもします。 僕はある種の社会的能力が当にどうしようもなく欠けていて、他の人が別に普通にこなしていることが全然できなくてずーっと中学生くらいのときから苦労してきて、それで今のような選択に至ったというのがあります。 だから、いわゆる「普通」とされているような仕事環境とかで、僕のように絶望的に苦痛を感じずなんとかこなせている人は、それはそれでいいと思うのです。僕は「普通」に「普通」の仕事をこなせている人を、ものすごく偉い、聖人のようだ、と思ってます。自分には到底無理だ。 コメントやトラバで同じような感覚を持ってる人からの意見ももらったので、そのへんの自分の性質に

    ADHD友の会(必然性と能力) - phaのニート日記
    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2007/12/16
    発達障害はADHDもアスペも当てはまりそうで当てはまらないな自分は。でもいろいろ共感ポイント多い。『社交力ゲージ』
  • 仕事があんまり出来ないらしいです - うどんこ天気

    私は大きな音とか人が怒ってたりとか悪意らしきものが苦手です。気が弱いのかもしれません。前に、仕事場の人が、ばんばん扉を開け閉めしたり小突いてきたり足を踏み踏みしてくるのは、悪意かうっかりか解らないけど、とにかく嫌だよう、悪意の存在は立証できないかもしれないけど痛いのは嫌だよう、うるさいのも怖いよう、と思っていたのです。ある日「ひょっとして、これはこの人のコミュニケーションの表現かもしれないぞ」「私は自分の常識にとらわれすぎていたぞ」と思って、その人を小突いたり足を踏んづけたり扉をばんばん閉めたりしました。その人は扉をばんばんするのと小突いてくるのと足踏み止めました。コミュケーションが断絶した。ある日、私が失敗したことなのにその人が上司から怒られていたので、これは良くないなあ*1と思って「それは私がやりました」と上司に言いました。そうすると、その人が「ごめんねーちょっと意地悪してたんだ」と言

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    dasaitama_osamu 2007/12/11
    こないだ久々にバイト行ったらテキパキしてる人達と自分との差に絶望した。そういうとき、怒られた訳でもないのにひとりでにお腹に鉛が溜まってきてニコニコ頑張り屋にもなれなかったりして困る。
  • 「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場

    どんなにステーキが大好きな人でも、 毎日、朝昼晩、ステーキだけを強制的にべさせられ続けたら、 だんだん苦痛になってくる。 当にステーキが好きな人なら、最初の1ヶ月くらいは毎ステーキだけでも天国かも知れないが、 それが半年もつづけば、もはやステーキを見るだけでウンザリするだろう。 プログラミングが好きでプログラマーになってしまった人は、 これと同じ種類の拷問にかけられる。 どんなにプログラミングが好きな人でも、毎日休まずプログラムを書き続けないと 生活できないとなると、それはだんだん苦痛になってくる。 好きなことを仕事にして生きていく、というのは、質的にそういうことなのだ。 そもそも、人は、その瞬間、瞬間で、いろんなことに興味をもち、 いろんなことをやりたくなる、自由で軽やかに発散していく欲望を持っている。 どんなにプログラミングが好きな人でも、 朝起きて、今日は空が青くて気持ちいい

    「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場
    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2007/12/10
    『「好きを仕事に」というキャッチフレーズは、社会を維持し、食っていくためにいやいや仕事をやっているという現実から目を背けるための、モルヒネでしかない。』/僕ももっと分裂的に自由になりたいもんだ
  • 続・妄想的日常 「社会に出たら」病

    578 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2007/11/15(木) 15:58:53 ID:ogKhlCZy0 俺のいとこも「社会に出たら」病だったんだわ。 社会人二年生なんだけど、親戚で集まるたびに いっつも中学生や高校生の子に言うんだわ。お決まりのフレーズ 「社会に出たら厳しいんだぞ」「社会じゃ嫌なことたくさんあるんだ」。 「たまに死にたくなることもあるぞ。絶対厳しい目に会う。100%辛い目に会うんだ」と。 うん毎回言うね。社会人の俺としては「別にそこまで大変なわけじゃ、、、」状態。 親戚の人たちにも当然社会人はいるわけで、俺と同じ様子で視線を送ってた。 言われる子達もリアクションの取り方に困ってんのが一目瞭然なんだわ。 であんまり度が過ぎるんで、ある時うちの親父がキレちまったわけだ。 そんな事言い聞かせて脅してどうするんだ、大概にしろ、とこういうわけだ。 それに同意した親戚

    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2007/11/17
    「甘えるな」教徒こそ本当は甘えたいのかもしれない。
  • 「みんな」を肯定する世界に居場所がない - Hopeless Homeless

    念願の大容量パワフルミキサーHuanyu降臨 10年日記を再開した。 コロナ禍になってすっかりペンをとらなくなったが、日々の飯の記録や熱海移住のことも、日常が無為に流れていってしまうような気がして怖くなり、再開したのだ。かつてはコクヨノートを使っていたが、もう定規で線を引くのも日付を書くのも疲れる…

    「みんな」を肯定する世界に居場所がない - Hopeless Homeless