世界的なコンテナ不足が問題になっていますが、今日はこの事態にコンテナ製造会社、中国政府、更にそこにコンテナリース会社がどの様に絡んできたかについて書きたいと思います。できる限り分かり易く書きたいと思いますので、長文をご容赦頂ければ幸いです(1/17)
世界的なコンテナ不足が問題になっていますが、今日はこの事態にコンテナ製造会社、中国政府、更にそこにコンテナリース会社がどの様に絡んできたかについて書きたいと思います。できる限り分かり易く書きたいと思いますので、長文をご容赦頂ければ幸いです(1/17)
最近、「宗教と政治」という、大変難しい問題について考えている。そもそも、宗教も、政治もそれぞれ実に難しく、しかも、安易には回答が見つからない難題だが、その両方を総括的に考えることは、その難しさ×難しさとでもいうべき、超難題であることは言うまでもない。それでも、昔から時々思い出したようにこの問題に取り組んでみたくなる。 だが、少なくとも今までは、いくら考えても「宗教と政治は分離しておくほうが無難」というようなそれこそステレオタイプな結論に至ってしまうので、第一ブログ(風観羽)でも、(少なくとも表立っては)取り扱っていない。だが、2000年代の半ばくらいから、哲学者のユルゲン・ハーバーマスが繰り返し述べているように、近代化が進むとともに、宗教は消えてしまうどころか、むしろ益々繁栄しているように見える。自分自身語るべきことは沢山ある気はしている。 日本では、いわゆる「宗教嫌い」が多いが、一方で死
■ 尽きない平成に関する視点/論点 これまで2度にわたって、平成の総括について書いて来たわけだが、続々と出て来る、平成に関する書籍や記事を拝読していると、まだ自分が気づいていない、あるいは気づいていても必ずしも十分にカバーしきれていない重要な論点や視点がたくさんあることを痛感する。当面、そのようなものを見つけるごとに、備忘録の意味でもその論点にコメントを付記してブログにも書き残しておきつつ、ある程度溜まって来た時点で、あらためて『平成総括』を書いておきたいと思う。 今回特にそのように考えるきっかけを与えてくれたのは、少し前のことになるが、2017年8月に東京工業大学で行われた公開シンポジウムをベースにまとめられた『平成論「生きづらさ」の30年を考える』*1だ。シンポジウムのテーマは宗教/スピリチュアリティであり、いずれも同大学のリベラルアーツ研究教育院に所属する、池上彰、弓山竜也、上田紀行
『この世界の片隅に』に続いて、完全に「国民的マンガ・アニメ」の地位を確立したと言える『鬼滅の刃』。 しかしこの作品も、ナショナリズムを煽っているとまでは言えないまでも、その設定・構成にはかなり危ういものを感じさせる。 読んでみてまず最初に引っかかったのは、マンガ版のラストだ。 最終決戦で鬼舞辻無惨を倒し、鬼たちを滅ぼしたことによって、この世界はようやく「人を喰う鬼がいない世界になった」とされる。そして「ただひたすら平和な 何の変哲もない日常が いつまでもいつまでも続きますように」という願いが語られる。(第204話「鬼のいない世界」) 続く最終話である「幾星霜を煌めく命」では、時代は一気に現代に飛び、炭治郎や禰豆子、善逸や伊之助の子孫たちが平和で微笑ましい日常を送る姿が描かれる。 つまり、この物語の世界では、鬼殺隊の剣士たちが命がけで鬼と戦って手にした平和が、そのまま現代まで続いているのだ。
友達、彼氏の誕生日に手作りの券あげてて、その中に"なんでも言うこと聞いてあげる券"も入れてたらしいんだけど唯一その券だけは3年間使われずで。 優しい彼なのね〜なんて言って笑って話してたんだけど、昨日その券を持って「別れてほしい」っ… https://t.co/bzMI2Nd7ID
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く