2009年1月28日のブックマーク (2件)

  • 学びと暗黙知 - 内田樹の研究室

    後期最終日。 朝から忙しい。 11時にアートマネジメントのインターンシップについて連絡のため登校。 お昼ごろに卒業生の福田くん(チナツじゃないよトモカだよ)が来る。卒業後の波瀾万丈(でもないけど)について事情聴取。 社交館でいっしょにご飯をべる。 それから取材が2件、写真撮影が1件。 写真なんか「ありものでいいでしょ」と言ったのだが、ダメだといって、わざわざ撮りに来たのである。 カメラマンと担当の他に、ただ私に名刺を渡すだけのために代理店やメーカーの広報担当など5人来た。 もはやそういう無意味な商慣行が許容されるような経済環境ではないと思うのだが、彼らはまだそれに気づいていないのか、気づいていないふりをしている。 取材はNTT東日の社内報とEsquire。 どちらも、どうしてこんなに日人は「学ぶ」ことが苦手になってしまったのかという話。 そういえば、同じような話を日曜日の神戸国語教育

    degrezero11
    degrezero11 2009/01/28
    暗黙知的身体操作の下ごしらえが出来ていたら、例えば水泳ができるとか、例えば車を運転していて、前の車についていってしまって、道を間違えたり迷子になるっていうの、なくなるのでしょうか。
  • ミカミさんのこと - 内田樹の研究室

    東京新聞で三上治さんが『昭和のエートス』について暖かい書評をしてくれた。 私たちの世代には懐かしい「あの」“叛旗派の三上” である。 若い方たちのためにウィキペディアのプロフィールを転載しておこう。 三上治(みかみおさむ、1941年-)評論家。三重県出身。1960年中央大学法学部政治学科入学、安保闘争に参加。1962年再建された社会主義学生同盟の全国委員長になる。1966年第二次ブントに加わり、全共闘運動やベトナム反戦運動にも加わる。1969年ブント内部の党派闘争で統一派として赤軍派と対立。1969年、4月28日の沖縄闘争で指名手配され、9月に逮捕。1970年、一旦保釈されるが、保釈取り消しで東京拘置所に。この間、神津陽と共に共産主義者同盟叛旗派をつくり、同派のリーダーとなる。75年、政治的実践活動から退く。その後、雑誌『乾坤』を創刊し、執筆活動に転じる。 1970年の安保闘争がなんとなく

    degrezero11
    degrezero11 2009/01/28
    ↓の方に同感です。意味がやっとわかりましたです。