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2025年1月4日のブックマーク (2件)

  • 金融資産が一億円を超えた

    2024年末に金融資産の評価額が一億円を突破した。 資産構成は下記の通り。 ・投資信託(MSCIコクサイインデックス 為替ヘッジなし) 7,000万円(うち含み益4,500万円) ・確定拠出年金 200万円(適当なバランスファンド) ・普通預金等 2,900万円 私のプロフィールと自分語りを少し。 就職氷河期末期に就職した40代前半。私大文系卒。男性。独身。借家住まい。 現在の年収は600万円。非IT系。 趣味はてな等のインドア系なのでお金はかからない。 幸いにも就職先が比較的福利厚生の厚い会社で、車も持っておらず入社直後の可処分所得は同年代よりあった。(人の能力の問題かその後はあまり昇給していない) なお、大学の同期は公務員か、はたまたブラック企業で病んで退職するかリストラされるかだった。退職後にIT系の個人事業主になった人は、今では都内にタワマンを買ったりして私以上に羽振りがよさそ

    金融資産が一億円を超えた
    denqueue
    denqueue 2025/01/04
    「この国に未来がある訳ないだろ常識的に考えて…」
  • 円城塔が『コード・ブッダ』で会得した危険な技術と描写の消滅について|畠山丑雄

    去年の京都での円城さんとの対談で『コード・ブッダ』の中世ぽさについて話したが、これは前提として、今小説から描写が消えつつあり、説教(エンパワメント)/法悦(エモ)復権の時代であるという意識がある。読者が舶来ものに飽きたと言えばそれまでであるが、書き手としては身の振り方を考えなければならない。 司馬遼太郎の語り口というものがある。司馬はほとんど描写をしない。するのは説明である。描写というのは上にも書いたが近代の輸入技術であり、書くのも読むのもはっきり言って面倒である。難点もあって、ストーリーにブレーキがかかる。小説の速度が落ちる。うまく行っても継ぎが残る。ではなぜそんな技術を輸入したかというと、いろいろな見方・理由があるが一番には説得力である。フィクションというものはフィクションなのでまず読み手にそんな世界が存在することを了承してもらう必要があるのだが、時間をかけて視覚的な証拠を並べると、「

    円城塔が『コード・ブッダ』で会得した危険な技術と描写の消滅について|畠山丑雄
    denqueue
    denqueue 2025/01/04
    まことに良き批評である