村の男たちはくわで家族を手にかけた―。91歳女性が証言する、沖縄戦の集団自決 「息絶えた母の横で、死んだふりをして生き延びた」逃げ場のない島で起きた地獄絵図
南京事件に関しては少なくない数の日記が残され、書籍に収められております。 そこで思いつき企画ですが、それらの日記から南京陥落後一週間(1937年12月13日〜19日)の 部分を抜粋していこうと思います。 ※数が増えたらカテゴリ分けする予定です。 ■松井石根 陸軍大将・中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官 ■飯沼守 陸軍少将・上海派遣軍参謀 ■中島今朝吾 第十六師団長・陸軍中将 ■増田六助 第十六師団歩兵第二十聯隊 ■上羽武一郎 第十六師団歩兵第二十聯隊 ■北山与 第十六師団歩兵第二十聯隊 ■牧原信夫 第十六師団歩兵第二十聯隊 ■第四中隊陣中日誌 第十六師団歩兵第二十聯隊 ■斎藤次郎 歩兵第65連隊本部通信班小行李 ■堀越文雄 歩兵第65連隊本部通信班(有線分隊長) ■伊藤喜八 歩兵第65連隊第Ⅰ中隊 ■中野政夫 歩兵第65連隊第1中隊・第3次補充 ■宮本省吾 歩兵第65連隊第4中隊・第3次
今回のネタは、「週刊新潮」2007年3月8日号47頁、おそらく週刊新潮としては「南京事件に関するスクープ」のつもりで掲載した記事についてです。 記事タイトルは「当時「南京の死者は2万人」と中国は「国際連盟」で演説していた」 新聞は報じなかったが、2月21日の衆議院内閣委員会で、南京事件に関する画期的な資料が明るみに出た。なんでも、1938年2月、国際連盟で中国政府代表が、「南京の死者は2万人」と演説していたというのである。虐殺30万人とは虚構。 論点を2つ提示します。 (1)「画期的」とありますが、ぜんぜん画期的ではありません。6年前に歴史学者が書籍で紹介していました。 (2)国際連盟の演説を根拠に「虐殺30万人とは虚構」と断定するのは無理があります。 まず、この資料を国会で披露したのは、前エントリで紹介した戸井田徹議員(自民党)でした。 週刊新潮の記事を引用します。 貴重な資料は、国立公
http://www.sankei.co.jp/seiji/seikyoku/070224/skk070224003.htm 1937年の南京事件から丸70年となる今年、事件を題材にした映画が海外で多数制作されることに危機感をもつ自民、民主両党の若手国会議員が、超党派の勉強会「南京事件の真実を検証する会」を結成した。史実に基づかない資料や、間違った認識に立つ表現に対し「国会議員が率先して反論することが重要だ」(自民党議員)との認識からで、26日から活動を開始する。将来的には、勉強会から議員連盟に発展させることも視野に入れている。 勉強会には、自民党の戸井田とおる衆院議員や民主党の松原仁衆院議員ら、当選1〜4期の衆参両院議員18人が名を連ねている。26日から3月上旬までに計3回、南京事件に詳しい東中野修道亜細亜大教授、藤岡信勝拓殖大教授らを講師に、「南京大虐殺」の証拠とされる写真や文書の信憑
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く