架空だった南京大虐殺の証拠 謎の「崇善堂」とその実態 阿羅健一(評論家) 「正論」昭和60(1985)年10月号より転載 東京軍事裁判の証拠 いわゆる南京大虐殺は東京裁判法廷において告発されたもので、以後この時の証拠、判決が拠り所となって、日本軍が虐殺した人数は20万人ともいわれ、又ある時は30万人ともいわれてきた。 そしてこの数字は戦後40年間日本人の自信と誇りをことあるごとに失わせてきた。 それではこの東京裁判での証拠・判決ぶんはどんなものであったかといえば、まず昭和21(1946)年8月29日、虐殺人数に関して4種類の証拠が提出された。 検察側書証1702、1703、1704、1706である。 これらの証拠によると、虐殺人数はまちまちであるが、1702の「南京慈善団体及び人民魯甦の報告による敵人大虐殺」によれば26万人、1706の「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告書」によれば34万