思い付きのメモです*1。差別表現に関する議論として「差別の意図の有る無しに関わらず批判されるべきだ」派と「差別の意図が無いのならば(看過されるべきではないものの)大きく非難されるほどではない」派があると思うのだが、今の時代に後者の考え方ではやっていけないというか、大体は前者の考え方を基に差別表現と向き合っているのではないか、と思う。この場合、言葉狩りがどうのこうのと言ってくる輩がいるが、個人的にはうるせーバカ、という感じに思っている。んで、今はこういう差別表現を全世界に発信することも可能であるし、そういう差別表現を行っている人を発見し非難することも簡単ではある。罪というものには罰が与えられるべき…おれはこの「べき」という言い方あんま好きじゃないんだけれど、まあ、そうあるべきであると思う。 意図の有る無しにかかわらず差別表現という道徳上の罪を犯した場合、もちろん多寡はあるものの罰が与えられる