2022年8月31日のブックマーク (3件)

  • 誹謗中傷報道に苦しみ裁判で勝訴ーー中島知子が語る「別府移住で笑顔を取り戻すまで」(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)

    「いま番組の収録が立て込んでいて、珍しい状態なんですよ」と元オセロの中島知子さんは言う。事実無根のゴシップ報道により、芸能界の表舞台から去ることを余儀なくされてから10年。昨年末から全国放送のバラエティー番組のオファーが立て続けに舞い込むようになり、にわかに「中島知子ブーム」再燃の兆しだ。かつては連日マスコミが自宅前に押しかける典型的な過熱報道に苦しめられたが、名誉毀損で訴えた裁判はすべて、2016年までに勝訴または勝訴的和解で決着を迎えている。大分・別府に移住して4年。「いつまでも虚偽報道が作り出した印象の自分でいたくはないですね。温泉効果でさらにネアカになったくらい」とほほえむ。中島さんが語る、再生までの軌跡とは。(取材・文=城リユア/撮影=戸高慶一郎/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 2022年、大分市のラジオ収録スタジオに中島さんはいた。軽快なトークは、以前とほとんど

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    drunkun
    drunkun 2022/08/31
  • 稲盛和夫氏、苦悩の末にたどり着いた「無私」の境地

    セラミック部品ベンチャーを世界的な電子部品メーカーに育て上げた稲盛和夫氏。人々を魅了したのは、経営者の枠にとどまらない、無私を貫いたその人間性にある。稲盛イズムはどう形成されたのか。日経ビジネスの記事を再構成して振り返る。 1973年7月9日号の日経ビジネスに京都セラミック(現京セラ)社長として登場した、当時41歳の稲盛和夫氏はこう語っていた。自信たっぷりのようにも見えるが、実際には、開発できなければ、生きていけないという悲壮感から生まれた「信念」だったはずだ。 1959年、スタッフを含めて28人でスタートした京セラ。いくら技術力があっても、名もないベンチャー企業に、すぐに顧客が飛びつくわけがない。「注文が出たら絶対断らない。技術的な裏付けがハッキリしていなくても、『やりましょう』と引き受けてくる。引き受ければやらざるを得ない。ダメでしたではもう相手にしてくれない。必死に技術開発をし、納品

    稲盛和夫氏、苦悩の末にたどり着いた「無私」の境地
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    drunkun 2022/08/31
  • 「オバサン」を受け入れるのには胆力がいる - インターネットの備忘録

    今日、45歳になった。 ……と書いたところで、めちゃくちゃビビった。自分がその年齢になったことを、まだ受け入れられていないのかもしれない。かといって「気分はまだ30代!」という感じでもないし、「もうオバサンよ〜」というノリでもない。 なんというか、「わたし」が「わたし」のまま年齢を重ねたら、こうなっちゃった、という感じがするのだ。 変わったこと、変わらないこと 20代の頃と変わらず変な音楽が好きだし、インターネットが大好きだ。今年になってからは、お笑いライブにハマってあれこれ首を突っ込んだりしている。確かに音楽ライブより、お笑いライブは「座って観られる」というメリットがあり、そこに楽さを見出している時点で加齢を実感するけれど、好きな芸人を見つけ、近況を追い、チケットをちまちま探して劇場へ足を運ぶ、というのを子育ての合間にできているのは、なんとなく自分が思っていた40代の行動ではないよなあと

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    drunkun 2022/08/31