原発の高レベル放射性廃棄物の地層処分技術を研究する日本原子力研究開発機構の深地層研究センター(北海道幌延町)に6月、地下350メートルの水平坑道が完成し、本格的な試験が始まる。最終処分地をめぐる国の選定作業が再び動きだす中、地元では「核のごみ捨て場」への不安が消えない。処分問題の最前線に立つ幌延を訪ねた。(東京支社・若林雅人) <国内唯一の場> 円すい状の小さなエレベーターで降下して約4分。地下350メートルの坑道は、地上から外気を取り込む換気装置の駆動音が始終とどろく。岩盤は軟らかい堆積岩で、400万年前に海底に堆積した地層がそのまま残る。むき出しの岩盤を爪でひっかくと白い跡が付いた。 「8」の字型の水平坑道は全長760メートル。坑道から枝分かれする形で並行して3本掘られた試験坑道ではこの夏、ヒーター内蔵の模擬体を熱を発する高レベル廃棄物(ガラス固化体)に見立て、閉じ込め機能の確認試
農地が広がる仙台平野。この辺りは名取川が大洪水を繰り返したことによって形成された=6月、仙台市若林区四郎丸周辺 阿武隈川の氾濫によってできた旧河道は水田になっていた。両脇の自然堤防上には大きな屋敷林があり、古くからの宅地であることがうかがえる=岩沼市下野郷糀内 縄文時代(6700年前)における仙台平野の海岸線。現在の陸地部分にかなり入り込んでいたことが分かる=松本教授が作成し、仙台市史に掲載した図を一部加工した 平野や丘陵、河岸段丘、活断層の動きで形成された坂など、私たちの周りにはさまざまな地形がある。人々は長い歴史の中で地形を活用したり、折り合いを付けたりしながら日々の営みを繰り返してきた。宮城県内の地形を糸口に、地域の暮らしや歴史を訪ねる。(夕刊編集部・横山寛) ヘリコプターから見下ろした仙台平野は、ぐるりと広がるパノラマだ。 東日本大震災の津波で大打撃を受けた水田の多くは、除塩作
宮城の3市町「寝耳に水」 指定廃棄物最終処分場候補 指定廃棄物の稲わらが保管されているビニールハウス。最終処分場が決まらず、仮置きの状態が続いている=登米市内 「机上の論理だ」「寝耳に水だ」「新たな風評被害を生む」。福島第1原発事故で発生した宮城県内の指定廃棄物をめぐり、最終処分場の候補地に挙がった栗原、大和、加美の3市町では20日、首長や住民から不満や困惑の声が上がった。 ◎住民風評を懸念 「不信と憤りを感じる。『協力できない』と言いたい」。環境省が同日、仙台市で開いた市町村長会議後、猪股洋文加美町長は強い抵抗感を示した。 候補地近くでは、指定廃棄物よりも汚染レベルの低い汚染牧草の一時保管で、町が住民説得に苦労した経緯がある。さらに国の田川ダム建設に向けて立ち退きに応じるなど協力したが、昨年5月に計画中止の方針が出るなど、国に翻弄(ほんろう)されてきた。 「最悪の選択肢だ」と猪股町
アイリス、コメ流通業参入 今月末新会社、精米工場も整備 アイリスオーヤマが東北産のコメ流通事業に本格参入することが23日、分かった。新会社を4月末に設立し、仙台市内で大規模な精米工場の整備に入る。従来の販売ルートを活用し、来年2月をめどに全国の大手スーパーやコンビニエンスストアで取り扱いを始める。3年後の売上高は100億円を見込む。 政府が交渉参加を表明した環太平洋連携協定(TPP)で農産物の輸出入が増加するのを見据え、集荷、加工、販売を一元化することで国内農業の競争力強化につなげる。北陸や北海道産へも事業を拡大するほか、将来的には海外輸出も視野に入れる。 新会社名は「舞台アグリイノベーション」で、本店は仙台市に置く。農業生産法人「舞台ファーム」(仙台市)とともに計50億円を投資する。コメの取扱量は年5000トンからスタートし、3年後に2万5000トンを目指す。初年度の売上高は16億円
被災地イチゴ、インドで栽培成功 宮城・山元の農業生産法人 インドの栽培ハウスで実ったイチゴを前に笑顔を見せる岩佐さん(右から3人目)と現地スタッフ(GRA提供) 宮城県山元町の農業生産法人GRAが、インド西部の高原地帯でイチゴの試験栽培に成功した。東日本大震災から2年の3月11日に初めて収穫した。長年培った栽培技術と現地の風土に合わせた工夫により、気候の違いや病害虫の管理などの困難を乗り越えた。 収穫したのは、実が小さくて酸っぱい現地の品種をGRAが日本型に改良したイチゴ。磨き上げるといった意味を込め「ミガキイチゴ」と名付けた。約40グラムと大粒だという。GRA代表の岩佐大輝さん(35)は初収穫の直後に現地に赴いて試食した。「国産と同じ甘くて深みのある味がした。町の技術の確かさが証明できた」と喜ぶ。 1日平均5キロほど収穫し、栽培ハウスのあるマハラシュトラ州の外資系ホテルに出荷した。「
県立図書館が電子書籍配信 都道府県立で初「解体新書」など 電子書籍として配信されることになった「解体新書」 東日本大震災を教訓に、図書館の資料保存機能を強化するため、秋田県立図書館(秋田市)は、所蔵する本など約2000点を電子書籍化して提供するサービスを始めた。都道府県立図書館では初の試みで、スマートフォン(多機能携帯電話)などで無料閲覧できる。 電子書籍化したのは、杉田玄白らが翻訳した「解体新書」や県指定有形文化財「御曹子島渡り」など、図書館が所蔵する資料約1300点。子育てに関する書籍や雑誌のバックナンバーなど約700点も配信している。 利用対象となるのは県内に居住しているか、通勤、通学している人。自分のタブレット端末やスマートフォンで図書館専用のアプリ(応用ソフト)をダウンロードしてデータの提供を受ける。データは10日後に自動的に消える。図書館所蔵の資料は無制限、バックナンバーな
160万匹のサーモンに餌を与えるネプチューンの装置。地下には400トンの餌が貯蔵されている=9月21日、モーロイ沖 <威容、基地のよう> ノルウェー南西部の小さな港町モーロイから船で40分。フィヨルドに囲まれた穏やかな海に、基地のようなコンクリートの建物が現れた。 世界有数のサーモン生産会社「マリンハーベスト社」が、養殖いけすを管理するために設けた洋上施設だ。地上3階、地下1階。「海の神」を意味する「ネプチューン」と名付けられていた。 数百メートル離れた場所に、直径40~50メートルの養殖いけすが10基ある。生後1年前後のサーモンが160万匹育てられている。 「この辺りは海水温が7~13度で水深もある。サーモンには最適の環境さ」。ネプチューンの担当者は誇らしげに言う。 社員5人が交代で常駐し、コンピューターで大量のサーモンを一元管理する。餌は1日2回、施設から伸びたホースで自動的
<ネット上で入札> ノルウェーに魚市場は存在しない。魚の取引は船が洋上にいる間にインターネット上で行われる。「洋上オークション」と呼ばれる仕組みだ。 ノルウェー第2の都市ベルゲンに、オークションを管理する専売組織「ノルウェー回遊魚販売組合」がある。漁業者からの販売手数料で運営し、国内で水揚げされる魚のほとんどが組合を通じて取引される。 オークションの責任者クニュット・トールギネスさん(57)は「漁船と水産加工会社の取引が公正、かつ効率的に正しい価格で行われるよう支えるのがわれわれの役目だ」と強調する。 漁船は魚を捕った後、場所や種類、数量、大きさなど、買う側が必要とする情報を組合に報告する。情報はすぐに組合のホームページにアップされる。 オークションは1日4回。水産加工会社が情報に基づきネットで購入希望金額を提示し、最高額を付けた会社が落札する。船は落札した会社に直接、魚を運び込
北欧のノルウェーは世界第2位の水産物輸出額を誇る。日本の食卓に並ぶサーモンなどの主産地としても知られる。東日本大震災で東北の水産業は大打撃を受けた。再起を目指す岩手、宮城両県の漁業・水産関係者が9月、ノルウェー政府の招きで現地を訪れた。視察団に同行し、最先端を走る漁業大国から再生の視点を探った。(石巻総局・丹野綾子)=5回続き <目を見張る光景> 北大西洋に面した風光明媚(めいび)な港町オーレスン。岸壁に立つ水産加工会社の工場では早朝、2000トン級の大型巻き網船が横付けし、前日に捕った約530トンのサバを水揚げしていた。 船から直接水揚げするフィッシュポンプで大量のサバを一気に吸い上げ、工場に送り込む。網で魚をすくい上げる日本とは懸け離れた光景に、視察団は目を見張った。 水揚げ額は385万クローネ(約5800万円)に上った。「まずまずだ」。乗組員が約10人という巻き網船の船長ヨン・
宮城・山元の農業生産法人 インドでイチゴ栽培へ GRAが進めるイチゴの大型ハウス建設工事=インド・マハラシュトラ州(GRA提供) 宮城県山元町の農業生産法人GRAは11月、インド西部の高原地帯でイチゴのハウス栽培を始める。GRAのメンバーで、東日本大震災の津波被害を受けたイチゴ農家が現地で栽培技術を伝え、著しい経済発展で増えている富裕層向けに高級な日本型のイチゴを売り込む。「被災地からグローバル企業を出したい」と夢は大きい。 NECや各国で地域開発に携わるNPO法人ICA文化事業協会(東京)などとプロジェクトチームを設立。インドのマハラシュトラ州プネ近郊の農村で9月末、約330平方メートルの大型ハウスの建設に着手した。10月末に完成する予定だ。 11月中旬からは高設ベンチに現地の苗を定植し、水耕栽培を始める。生育の見通しが立てば、大粒で甘みの強い日本型のイチゴに品種改良し生産を拡大させ
<「予算組めない」> 2005年12月8日、福島県双葉町役場。初登庁した井戸川克隆町長は、総務課長の言葉に耳を疑った。 「町長、来年度の予算が組めません」 福島第1原発5、6号機を抱える町には、立地に伴う多額の交付金や固定資産税が入っていたはず。それなのに町の借入金残高は、一般会計の1.5倍に当たる86億円に膨れ上がっていた。 人件費削減に加え、町発注工事の積算見直しや事業の先送りなど、町は「乾いた雑巾を絞る」(井戸川町長)ような緊縮財政に転換せざるを得なくなった。 原因は「捕らぬタヌキ」式の財政運営だった。第1原発7、8号機の増設に伴う税収増を、借入金の償還財源に当て込んでいたのだ。町職員の1人は「増設すれば財政問題は解消すると、大半の職員が楽観視していた」と言う。 ところが、増設計画は東京電力の原発トラブル隠しの発覚(02年)を受けて凍結。その後も事故隠しやデータ改ざんなど
漁業補償協定の締結に向け東電側と協議する各漁協の組合員ら=2000年12月4日、いわき市の福島県水産会館 <億単位で上積み> 「今度来るときは、もう一つゼロを付けてこい」。福島県浪江町の漁業桜井治さん(76)は請戸漁協(現・相馬双葉漁協)を代表して時折、声を荒らげながら東京電力の担当者と交渉を重ねていた。2000年の夏から冬にかけてだった。 東電が福島第1原発7、8号機の増設計画(未着工)を示したのを機に、請戸など7漁協は1~8号機の温排水に対する漁業補償を求めた。 既に運転していた1~6号機については建設当時、まだ温排水による漁場への影響が問題視されず、補償対象に含まれていなかった。 7漁協に東電が当初示した額は計80億円。組合員の目算とは大きな差があったが、東電は交渉する度に億単位で上積みしていった。 「目標額になるまでは絶対に譲れなかった」と桜井さん。交渉を優位に進めようと
<水素爆発に怒り> 「何やってんだ東電、バカヤロー」 東京電力福島第1原発の水素爆発を伝えるテレビに向かって、前福島県双葉町長の岩本忠夫さんが怒りをぶちまけた。 昨年3月、原発事故で双葉町の自宅から南相馬市の小学校に避難していた時だった。「裏切られた」という無念さだったのだろうか。 避難中に体調を崩した岩本さんは、4カ月後の昨年7月に福島市の病院で亡くなった。82歳だった。 原発反対運動の先頭に立ち、やがて推進に転じた。原発立地地帯で反対を貫くことがいかに困難か、身をもって示したかのような人生だった。 岩本さんは双葉町に生まれ、地元で酒店を営む傍ら青年団活動を経て社会党員になった。当時を知る人は「地域活動に積極的に関わり、弁も立った」と言う。 第1原発1号機が営業運転を始めた直後の71年4月、県議選双葉郡選挙区で初当選。原発労働者の被ばく問題や、使用済み核燃料の無断運び出し疑
<食材まとめ買い> 1964~65年ごろのことだという。福島県大熊町議会の議長や町商工会長を務め、現在、会津若松市の仮設住宅で暮らす川井利治さん(78)が「初めて原発の恩恵を感じた」と言う出来事があった。 ある日、川井さんが経営する鮮魚店には不似合いな黒塗りの高級車がやってきた。店に入ってきた女性は、20人分の魚をまとめ買いしていった。 女性は福島第1原発を計画していた東京電力の現地事務所で、食事の世話をしていた。黒塗りの車は商店街の青果店や食肉店にも止まり、その都度大量の食材を買い込んでいったという。 大熊町に立地した1号機の着工は67年のこと。町にはゼネコンの作業員宿舎が続々と建ち、最大で1日数千人が工事現場で働く「原発特需」が始まった。 町内にあった20軒ほどの飲み屋は連日、満員御礼。200メートルほどの長さの小さな商店街に酒屋が4軒並んだ。 川井さんの店は自動三輪車を購
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く