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ブックマーク / www.rri.kyoto-u.ac.jp (6)

  • ウクライナにおける放射線影響

    ドミトロ・M・グロジンスキー ウクライナ科学アカデミー・細胞生物学遺伝子工学研究所(ウクライナ) はじめに 1986年4月26日は,チェルノブイリ原発4号炉が爆発し全ヨーロッパに放射能汚染を引き起こした日として,歴史に残ることになろう.初めの爆発とその後の熱は,揮発性の放射性物質を上空1500mに吹き上げ,その後,これらの物質は広く拡散することとなった.厖大な放射能を含んだ雲は,風向きによって,北,東,南そして西へと流れ,数1000km離れた地にも降り積もった.チェルノブイリの破壊された原子炉から放出された放射能は,ウクライナだけではなく,ベラルーシ,ロシア,ポーランド,スウェーデン,ノルウェー,フィンランド,ドイツ,ハンガリー,スロベニア,リトアニア,ギリシャ,ブルガリア,スロバキア,さらに多くの国々を汚染した.揮発性の放射性核種と,微細なホットパーティクルが事故直後の数日間に,これらの

  • ベラルーシでの遺伝的影響

    チェルノブイリ原発事故によるベラルーシでの遺伝的影響 ゲンナジー・ラズューク,佐藤幸男*,ドミトリ・ニコラエフ, イリーナ・ノビコワ ベラルーシ遺伝疾患研究所(ベラルーシ),*広島文化女子短期大学 チェルノブイリ原発事故で放出された放射能により,ベラルーシ,ロシアウクライナの数多くの住民が被曝し,その影響が遺伝的な損傷,とりわけ染色体の異常として現れていることは多くの研究結果によって示されている1,4,6.染色体異常の増加は,不安定型と安定型,また染色体型と染色分体型といった,いずれのタイプの異常にも認められている4,7,8.(放射線被曝に特徴的な)2動原体ならびに環状染色体といった異常とともに,化学的変異原にも共通するその他の染色体異常の増加が認められていること6,9,また実際に観察された染色体異常の頻度が被曝量推定値から計算されるものより大きいこと4,5が明らかとなっている.これらの

  • ロシアにおける取り組みの概要

    一方,1987年に新しい「放射線安全規則(NRS-76/87)」と「放射性物質および放射線源に関わる作業衛生基準(PSR-72/87)」が決定された.これらの規則では放射線被曝の人体影響についてより明確な基準が設定された.チェルノブイリ事故影響に対処した経験を含め,施設や環境での放射線管理や予防措置に関してそれまでの経験から得られた知識が新しい規則に反映された.PSR-72/87はソ連全体に適用され,その崩壊後は,最近までロシアにおいて適用された.現在それらの規則の改訂作業が進められており,近い将来ロシア全土に適用される新しい規則となるであろう. 被曝量を制限し汚染地域住民や種々の活動に携わっている人々に対する放射能の取り込みを減らすため,上述の法律や規則に加えて,多くの規則,勧告,原則が制定されている.たとえば,「環境中への放射能放出をともなう事故時に人々を防護するための手引き」,「チェ

  • ベラルーシにおける法的取り組みと影響研究の概要(ウラジーミル・P・マツコ,*今中哲二)

    3 チェルノブイリに関する政府レベルの活動 政府の基的政策 チェルノブイリ原発事故の影響を軽減するためにベラルーシ政府が行なってきた活動は,ソ連の崩壊前と後という2つの時期にまたがる5つの段階に分けることができよう.ソ連時代のベラルーシ政府は,事故の最初のショックから回復すると,ソ連共産党中央委員会とソ連政府が決定した政策を実行した.ソ連が崩壊し,旧ソ連諸国(主としてロシア)からの援助が期待できなくなると,ベラルーシ政府はチェルノブイリ問題について独自の政策を実行することになった. 第1段階(1986年4~6月)では,さまざまな不整合はあったものの,共和国の社会的・経済的状況は,種々の施策を実施することが可能な状態であった.この段階でのもっとも大きな誤りは,放射能の危険について人々に知らせなかったことである.パニックが起きる,という意見は根拠のないものであった.事故の大きさに関する秘密主

  • チェルノブイリからの放射能汚染によりスウェーデンでガンが増えている?

    <原子力資料情報室通信 No.381 号 2006 年 3 月> 1 チェルノブイリからの放射能汚染によりスウェーデンでガンが増えている? 京都大学原子炉実験所 今中哲二 チェルノブイリ・フォーラム 昨年9月、IAEA や WHO など国連8機関と ウクライナ、ベラルーシ、ロシア各政府の専門 家で構成されている「チェルノブイリ・フォー ラム」が、事故から 20 年を総括する国際会議 をウィーンで開催した(1)。その記者会見の内容 を日の新聞各紙は、 「チェルノブイリ原発事 故による総死者 4000 人」という見出しで報道 した。それをみて私は一瞬、 「これまで事故で 亡くなった人が 4000 人」という話かと思った が、記事を読むと、 「これからガンでなくなる 人を含め、 事故で死亡する人が全部で 4000 人」 ということであった。各紙は、 「従来言われて いた数字に比べて大幅に下回っ

    ebibibi
    ebibibi 2011/06/22
    スウェーデンの話。首都圏ホットスポットと同じ程度の汚染と見ていい気がするが・・・。
  • 30km圏住民の被曝量評価

    一方,プリピャチ市以外の周辺住民の避難が決定されたのは,事故から1週間たった5月2日のことであった.まず原発周辺10km圏の村落の避難が5月3日からはじまった.さらに周辺30km圏内の残りの村落の避難が行なわれ,5月6日にはほぼ終了した.プリピャチ市民を含め,結局13万5000人の住民がチェルノブイリ原発周辺30km圏から避難した1. 1986年8月にソ連政府がIAEA(国際原子力機関)に提出した事故報告書1(以下86年ソ連報告書)に基づくと,事故による被曝によって急性の放射線障害が現われたのは203人で,その全員が原発職員と消防士であった.そのうち28人が3カ月以内に死亡し,事故による死者は,破壊された原子炉建屋に閉じ込められた1人,事故当日に火傷で死亡した1人,他の原因による死者1人を加えて合計31人であった.一方,周辺住民の間には1件の急性放射線障害もなかったとされている.周辺住民に

    ebibibi
    ebibibi 2011/05/23
    チェルノブイリのデータ。SPEEDIで出てる福島の予想データよりずっと低いじゃん・・・。
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