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ブックマーク / hankinren.hatenadiary.org (3)

  •  恋ニ酔ヒ、愛ニ死ス ―「らも 中島らもとの35年」 中島美代子・著 ― - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    「中島らもが、死んだ」 平行線のままのどうしようもなく暗い話の最中、ふいに電話の向こうの男がそう言った。 電話の相手は、私が19歳の時に出会った私の初めての男。私はその頃、彼に貸す為に借りたサラ金の返済がどうにもならなくなり、全てが親にバレて実家に戻って罪悪感と自分自身の愚かさと未来の見えなさでグチャグチャになっていた。それでも何とか金を少しでも返して貰えないだろうかと知人を通じて彼に交渉していた。直接話すと私は「負けて」しまうから知人に間に入って貰ったのだ。 知人から連絡が来た彼は逆ギレして私に電話をかけてきた。「返して」「無いものは返せない、それに俺はお前の欲しいものを与えてやってたじゃないか」何十回も繰り返したどうしようもないやりとりにお互いうんざりし疲れてしまい沈黙が訪れた。私は泣き疲れ怒鳴り疲れていた。その沈黙を破り、ふいに彼が中島らもの死を告げたのだ。 彼は一時期、小説家になる

     恋ニ酔ヒ、愛ニ死ス ―「らも 中島らもとの35年」 中島美代子・著 ― - 花房観音  「歌餓鬼抄」
  •   痛みと共に生きること ― 「たまもの」 神蔵美子 ― - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    疲れた時に甘いモノが欲しくなるのと同じで、私は心が弱くなって、自分の中に迷いや恐れが生じた時、つまりは自分を見失いそうになった時に、読みたくなるとビデオがあります。当に心が弱ってる時は泣きながら読んだり見たりする。きっとそういう時は、泣いて心の中にある暗いものを浄化させたいんだと思います。不安や恐れは常にあるのだけれども、それを増長させて惑わす「悪魔」に魅入られそうになった時に、〈今、書きながら思い出したけど、仏典にそんなシーンありますね。釈迦が悪魔に惑わされそうになるシーン)自分を取り戻す為に読むと、ビデオ。 何故、悪魔に魅入られたくないか。悪魔に魅入られると苦しいから、それ以外に理由は無い。心を惑わす悪魔に魅入られて破滅して、大事な物を失うのは、もう御免だ。魅入られていることにすら気付かない愚かさの海に漂う心地よさも要らない。苦しみたくない。何が楽しくて、自ら苦しみを求めて短い人

      痛みと共に生きること ― 「たまもの」 神蔵美子 ― - 花房観音  「歌餓鬼抄」
    eborat
    eborat 2007/02/05
    神蔵美子「たまもの」考。~狂~
  • 巷に雨の降る如く - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    巷に雨の降る如く 我が心にも涙降る かくも心に滲みいる この悲しみは何ならん P・ヴェルレーヌ 「雨」という映画がある。あるいは「雨の欲情」。原作はサマセット・モーム。舞台は雨季の太平洋の島。そこにやってきたジョーン・クロフォード(マレーネ・ディートリッヒいわく、ギョロ眼の醜い女。そういうディートリッヒは、三島由紀夫に西洋版おかめ呼ばわりされてるが)演じる娼婦、それに群がる男達、それを非難する敬虔な牧師夫婦。しかし牧師は神の名において、性の快楽に溺れる享楽的な男達と娼婦を更正させようとする。一度は更正して神の御子となったかのような娼婦。しかし、降り続く雨と、祭祀的な太鼓の音の中、最後には、牧師も娼婦の誘惑に陥落され、己の性欲に負けた絶望で海に身を投げ命を絶つ。 私には血の繋がった兄や姉はいない。しかし、兄のような人が一人いた。19歳の時に出会った三つ上のその人は、私に仕事を教えてくれた人で

    巷に雨の降る如く - 花房観音  「歌餓鬼抄」
    eborat
    eborat 2007/01/17
    哀しくも美しい文章。
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