□拓殖大学総長・渡辺利夫 年は改まったが鬱々として晴れない。歳のせいであろうが、そればかりでもない。中韓はもとより欧米のクオリティペーパーまでが安倍晋三首相を「歴史修正主義者」と難じて恬然(てんぜん)たるありさまである。物心ついた頃に戦争を体験し、その後70年を生きてきた人間としてはどうにもやりきれない。 ≪大合唱の「歴史修正主義」≫ 歴史修正主義というが、歴史はむしろ恒常的に修正さるべきものであろう。つねに客観的で検証可能な歴史というものは存在しない。社会の支配的勢力がみずからの統治の正統性を訴えて歴史を編纂(へんさん)するというのはよくあることだ。中国の近現代史を貫くものが共産党の正統史観であり、韓国のそれは日本統治という「清算」すべき過去を抱えもつ史観に他ならない。日本史はそれほどあからさまではないが、イデオロギー時代の歪(ゆが)みはなお糺(ただ)されてはいない。 残念なことに、ナチ